冬菜かしこの「小学生、中学生と遊んでみたり、学んでみたり」の日々

二人娘と一緒に遊んで、学んで、楽しんでいるアラフィフ小学生ママの記録です。

【エッセイ】ちょっかいをだす、クラスメイト

実家に泊まって、お手伝いにしていた私のもとに、

朝、一本の電話があった。

それは長女からの、泣きながらの電話。

「今日、8時に目が覚めた。もう、絶対、遅刻する。

もう、学校休んでいい?休みたい」

というもの。

涙声なので、一応、

「学校、休んでもいいけど。

遅刻していけばいいんじゃない?」

と聞いてみると、

「行きたくない」

との一点張り。

「じゃあ、学校に電話しておくよ。

休むんだね」

と念を押して、電話を切った。

 

はて、さて、どうするか。

ひとまず学校に電話して、

「実家の疫病の看病に来ていて、

子供たちのストレスがすごくて、

今日は寝坊したみたいです。

行けたら遅刻していきますが、

休みかもしれません。

よろしくお願いします」

との連絡をし、

どちらに転んでもいいようにしておいた。

 

しばらくして電話すると、

すぐに長女が出て、

「なんで学校行っていないの?」

と一応聞くと、

「行かないもん。今から行っても、からかわれるから。

遅刻してからかわれたくないから、絶対に行かない!」

とのこと。

 

話を聞くと、普段から、長女をからかってくる子が2人ほどいて、

遅刻していくと、そのからかいが更にエスカレートするだろうから、

絶対に行きたくないのだとか。

私にも、「担任の先生に話しておいて」

と、言ってきた。

うーん、えらいこっちゃ。

 

かるーく、いじられてるっぽいじゃない。

どうしよう?どうしよう?

ひとまず、翌日が参観日なので、実家から自宅に帰宅するので、

帰ったら長女に詳しく聞こうと思って、

電話はおわった。

 

そうして自宅に帰って、長女にもう一度事情を聞き、

夕方担任の先生から電話があり、

「どうですか?明日はこれそうですか?」

と聞かれたので、長女から聞いた、事情を説明した。

 

「長女が廊下を歩こうとすると、

それを二人の女児がふさぐようにして、

からかうのが、いやなのだそう」と。

先生は、明日本人から事情を聞きますと言ってくれたので、

ひとまず、母として出来ることはしたので、

安堵した。

 

翌日の参観日は、長女はわりと普通に頑張っていた。

とくに、クラスの子らに邪険にされる様子もなく、

特別人気者ではないものの、

相変わらず地味にいろいろ頑張っていて様子。

 

そうして、夕方長女が学校から帰ってきて、

いの一番に聞いてみた。

「先生、どうだったって?」

すると拍子抜けするほどの明るい笑顔と声で、

思わぬ事実を教えられた。

 

先生は、長女から事情を聞く前に、

相手の二人の女児に事情を聞いたそう。

そして、その内容は驚くべきものだった。

先生曰く、

「○○ちゃん(廊下をふさいできた女児)は、△△ちゃん(長女)と

仲良くなりたいんだって」

だそう。

 

なんでも、

廊下をふさいだり、

ちょっかい出したり、

からかったりしたのは、

長女とどんなふうに仲良くしたらいいのか分からないから、

そういう態度に出ただけ、

とのことだった。

 

もう一人の女子は、すこーし、からかう気持ちがあったものの、

それほど本気ではなく、どちらかといえば、

かかわりあいになりたかったのだそう。

 

まるで。

好きな女の子にちょっかいだす、

小学生男子のやり方ですやんか、、、。

なんか、ひょうしぬけ。

でもなんか、ちょっと、うれしいですやんか。

ぬほほ。

 

話してくれている長女の顔は、

もう、にやにやが止まらない。

今までどんなに望んでも出来なかったお友達が、

しかも、かわいらしい、人気者タイプの女子が、

向こうから、かかわってくれようとしてくれていたなんて!

 

このかわいい女子は、私とママ友さんで、

コロナの流行前は、みんなでよくうちに集まってくれていた仲間なのだ。

どちらかといえば、身内みたいなもの。

小学校で顔を合わせると、かわいい子も、ママさんも、

私ににこにこしてくれていて、

どちらかといえば、仲良しさんになるような感じ。

だから、長女とたもとをわかつのはおかしい、とは思っていたのだが、

まさか、お友達になりたい、とまで

思ってくれていたとは!

 

いやはや、

人の気持ちとは分からないもの。

まったくもって、想定外だった。

でも、うれしい。

非常に、うれしいよ。

今まで、向こうからこんなにアクションをしてくれた人が

あっただろうか?

、、、いや、なかったね。

でも、それは昨日までの長女。

この日から長女は変わるのだ。

「ぼっち生活」から

「お友達がいる生活」になるのだ。

もう、気持ち的には、お赤飯祭りしたいくらいの

私の喜びよう。

 

そこへ、長女が一言った。

「でもね、ママ。

○○ちゃんと、どうやって、お話したらいいか分かんない」

困っているようなので、私は気楽な感じで言った。

 

「なんでも、いいのよ。

おはよう、とか。

今何してるの?とか。

とにかく話しかければいいのよ」

 

ところが長女はそう聞いても、困ったまま。

「わたし、話しかけられない、、、。

どうしよう、、、」

長い長い、ぼっち生活で、

歌を忘れたカナリヤのように、

長女はお友達との交流の仕方を忘れたようだった。

あーあー、、、。

 

ちょっとかわいそうな気もしますが、

相手が前向きにちょっかい出してくれている以上、

なんとかしてくれるのではないかと、

私は思うことにした。

 

「○○ちゃん、前はよく家に遊びに来ていたし。

幼稚園の時には、一緒にクッキー作ったりしてたじゃない?

誘ったらいいよ。

ママはいつでも、準備してあげるから」

そう言っても長女は、

「みんな、習い事とか塾とか、忙しそうだしなー」

と相変わらずの、消極姿勢。

うーん。ちょっと、むずいな。

あまりにも、ぼっち生活、長すぎたか。

そこでもう、この方法にしてみた。

 

「むこうから話しかけてくるのを待ってたら、いいんじゃない?

だって、からかってくるぐらいだもん。

なんかしゃべってくるかもよ」

その提案には、長女も納得し、

晴れて、今日の人生相談は終了とあいなった。

夕方、再び担任の先生からご報告があり、

長女と同じ話をしていただき、

相談は終了とあいなった。

 

いやはや。

人の気持ちってわっかんない。

まさか、まさか、だった。

でも、今から思えば、

そりゃ、そうだわな、

と思い当たる節があるのも事実。

 

先生のプリントの、児童をほめる記事で、

相手のかわいい子は、いつも、

長女のした行動(例えば配りもののお手伝いとか)

を見て、真似しているような文が多く載っていたのだ。

 

なるほど。

そういうことだったのだね。

 

自分以外の人のことなど、

分かりっこない。

それを分かっていても時に、

それを忘れて、あーだこーだと

悩み続ける。

でも、明らかな態度以外は、

自分のかたよった主観があることも多いもの。

気の回しすぎで、疲れたり、

被害妄想で、すねたり。

そうしたことがあるのが、人間関係というものなんだよね。

今回の件でよーく、分かった気がする。

 

どうせまた、近いうちに、

私の事だから、忘れちゃうのかもしれないけれど。

出来るだけ、覚えておくように

努力しておきたいと思う。

 

人の気持ちは分からない。

それは、悪い方向に転ぶこともあるけど、

それは、良い方向に転ぶこともあるのだと。

いつも自分の偏った見方でなく、

客観的な視点で考えることもまた、

大切なのだということを。

 

こうやって、学んでいくのだ。

育児をしていく中で、

今まで知らなかったいろいろなことを、

実体験として学んでいくのだ。

 

だから。

ありがとう。

いろいろな学ぶ機会を与えてくれて。

私の大切な、二人娘さん。