冬菜かしこの「小学生、中学生と遊んでみたり、学んでみたり」の日々

二人娘と一緒に遊んで、学んで、楽しんでいるアラフィフ小学生ママの記録です。

6月の入院、娘たちの奮闘

こんにちは、冬菜かしこです。

今日も朝からクーラーなしでは生きていけないほどの暑さが続く一日です。

 

さて、6月初旬に椅子から滑り落ちて右腕を強打し、

それをかばって左手生活をしていて、左腰に負担がかかり、

6月中旬に緊急入院して、かれこれ2か月近く経ちました。

その間、当ブログは全く更新しておらず、

今日は久しぶりの書き込みです。

(入院に関する詳しい内容は、姉妹ブログの

『冬菜かしこの「ジムと畑とボランティア」の日々』にて記載しております)

 

今回の入院は緊急入院だったので、

子供のことも家の事も、どうするのかは全く決めていない中での入院でした。

入院期間は9日間ですが、小3と小5の二人娘が家事全般を賄えるわけもなく、

必然的に主人がほとんどを担う形になりました。

 

朝は6時45分には出勤する主人。

その後で子供たちは自分で登校していかなくてはいけません。

朝食を主人と一緒に食べることは出来ても、

最終的に家を出る時に鍵を閉めて出るその責任は、

小学生の子供たちにまかせられたわけです。

今までどんな状況でも、子供たちの「いってらっしゃい!」を欠かしたことは

無かった我が家。

入院中も気が気ではありませんでした。

実際、電話すると長女が泣きながら「ママに会いたい」と言っていました。

 

帰宅しても、いつも迎えてくれる家族はいません。

パパは仕事中、ママは入院中なのです。

特に先に下校する次女はさみしかったらしく、

友達を家にあげていました。

いつもなら「ママに黙ってお友達を家にあげてはいけません」と言う私ですが、

今回の入院中ばかりは、そんなこと言ってはいられません。

電話で次女が勝手にお友達を家にあげていることを知っても、

寂しいのだから仕方ないか、と容認することにしました。

いつもいつも決まり通りにいかないのが、日常生活というものです。

自分の思いはひとまず置いておいて、

次女の思いを、長女の思いを、

優先することを選びました。

 

でも入院生活が続くうちに、電話での子供たちの様子が変わってきました。

最初は「寂しい、早く会いたい」となきじゃくっていた娘たちも、

徐々に慣れて来たらしく、少し話したら「もう電話切るね」と言い出す始末。

「人って、何でも慣れるんだな。特に子供は」と少し寂しくなりました。

だけど。

本来子供のように弱い存在は、そうやって慣れていかないと、

生きていけないのかもしれませんね。

いつまでも、いつまでも、悲観していても、

自分の生活が苦しくなるだけですものね。

苦しいことも徐々に慣れていくことで、

たくましく生活していけるのかもしれませんね。

 

入院前には「ママがいなくなったら生きていけない子供達」だと思っていましたが、

ところが、どっこい、なんのことはない、

ママがいなくても案外平気で生きていけるだけの力は、出来ていたみたいです。

毎日そばにいると、それが当たり前すぎて、

そうでないと駄目なような気になっていました。

私が存在する意味もそこにあるような気になっていました。

 

でも。

実際には自分たちの事は自分たちでする力を、

少しずつ身に着けていたようです。

ここで「ママがいなくても生活できるのか」とガッカリすることも

あるのかもしれません。

自分の必要性が落ちたような、気持ちになることがあるのかもしれません。

だけど私は不思議と、あまりそんな風には思わなかったのです。

 

「こんなにも、たくましく、生きる力をつけてくれたんだ!いつのまにか!」

と喜びの方が大きかったように思います。

それはもしかしたら、実家も姑家もたよれない、

ワンオペ育児を続けてきた私だからなのかもしれませんが。

少しだけ肩の荷が下りたように感じたのです。

 

退院してもしばらくは、よろよろと動いていた私。

それを主人も二人娘も分かってくれて、

いろいろと家事などを助けてくれました。

布団を敷いたり、お風呂を洗って湯を入れたり、

私の生活を助けてもくれました。

必要に迫られたら小3の子も小5の子も、

ちゃんとやれるのだと分かりました。

「一週間は家事は一切できません」と宣言していたので、

家族みんなで協力してくれました。

それは、とてもとてもありがたいことでした。

 

でも退院してしばらくして、次女がお手伝いに対して、ぶーたれ始めました。

「どうした?どうした?」と思っていると、主人が、

「ママが家に帰って来てから、甘え始めたのかな」と言っていました。

体の弱ったママをかばって、いろいろしてくれていても、

本当は少し無理をしてくれていたのかもしれません。

それに気づいた時、次女がなんともかわいらしく見えました。

次女は次女なりに、精一杯頑張ってくれていたのだと思います。

そして長女も長女なりに、お手伝いを頑張ってくれていたようです。

 

退院して1か月以上が経ち、今ではすっかり元通り。

親子げんかも、兄弟げんかも、派手にやらかして、

主人にうんざりされています。

日ごとに口が立つようになった二人娘を相手に、

ママもぎゃんぎゃん言っていて、我ながら、器の大きい人には程遠いなあと、

かなしく反省の毎日です。

 

それでも。

こんな日常が戻ってきてくれたことがうれしくて、うれしすぎて、

たまに入院の事を意図的に思い出しています。

一日一日が長く苦しかったあの日々を思う時、

今日のこのなんでもない生活が、どれほどありがたいかをかみしめられるのです。

6月の入院で痛い思いも辛い思いも、経済的に痛い思いもしましたが、

私たち家族に色々な気づきを与えてくれたようにも思うのです。

 

それは、子供たちがたくましく成長したこと。

それは、家族が協力すれば、なんとかなるということ。

それは、無理をしすぎるといけないということ。

それは、お互いがかけがいのない家族の一員だということ。

それは、平凡な毎日が幸せだと言うこと。

 

ひと月も経てばすっかり入院中の苦労を忘れそうな私ですが、

頭の片隅に少しだけ、

「若者のように無理をしてはいけない年齢ですよ」

という今回の教訓を残しておこうと思います。

当たり前の日常のありがたさを、たまには思い出して、

今日という日を楽しんでいこうと思います。

 

明日も素敵な一日になりますように☆