冬菜かしこの「小学生、中学生と遊んでみたり、学んでみたり」の日々

二人娘と一緒に遊んで、学んで、楽しんでいるアラフィフ小学生ママの記録です。

長女の入学式

長女と中学校の入学式に行ってきた。

今までずっと子供だと思っていた娘が、

中学校の制服を着て、

中学校の体育館で入学式をして、

教室で教科書の山を受け取って、

そういう一連の流れを見ていると、

ああ、もう子供子供していないんだなと思い、

自然と涙がこぼれたりした。

私も人の親だったのだと、

改めて思ったりした。

 

誰でもがそうであるように、

年月を飛び越して大人にはなれない。

面倒くさい年月を経て、

面倒くさい生活を過ごし、

どうしてこんなことしなくてはならない?

を繰り返し、

時に投げ出したくなるようなことの一つや二つもあり、

それでも前を向いて歩いて行くものだけが

たどり着ける場所があるのだと、

今ならそう思える。

 

自分が中学生だった、

あの頃には気づけなかった。

だからこそ娘達には気づいてほしいと思っている。

無理かもしれないけれども、

願っている。

今と言う時がとても素敵で、

どうしようもなくうまくいかなくても、

振り返ればかけがえのない

大切な時間だったのだと、

教えてあげたいと願っている。

 

中学校、入学おめでとう。

ひとまず、ブログのタイトルを変更しようと思っている。

【エッセイ】風邪の季節

一週間前に次女が体調不良を訴えて、
病院に行ったばかりだというのに、
今度は長女が体調不良を訴えてきた。
ついでに、私ものどがいがらっぽい。
しかし私は熱はないので、
38度越えの長女の看病にいそしまなくてはならない。

いつも思うが、実母なり、義母なり、
近くにいる人がうらやましい。
通常ならそれほど思わないが、
自分の体調がすぐれない時には、
渇望する。
「私が倒れたら、この家、まわらんがな」
とのプレッシャーが半端ないのである。

もちろん、今まで、私が体調不良で
布団にふせっていたことはある。
何度もある。
しかし、たいていは、私一人の体調不良。
主人も、二人娘もぴんぴんしている。
なんなら、娘がいろいろ活躍してくれたりもする。

でも今回は違う。
発熱中の長女の看病。
それが私へのミッション。
となれば自動的に、私は倒れるわけにはいかない。
ああ、プレッシャー。

それでもまあ、6時半くらいになれば、主人も帰宅するのだし。
そう思って、自分をだまし、だまし、過ごしている。
こういう時。
心底、親の近くに住みたいと思う。
出来ないけどね。

少し前まで、暑くて、暑くて、
「秋はいつやってくるんだ?」
と切望していたというのに。
涼しくなったと思ったら、
途端に寒くなってしまって、
なんだか冬のような気分だ。

「今年の秋は短かった」
と誰かが言っていたが、
本当にいつやってきて、
いつ去っていったのやら。
こんなに短い滞在なんて、
聞いてないよー、
と思ってしまう。

とはいえ、いつまでもすねてばかりはいられない。
小学生2人と主人のお世話と、
明日には実家の母の手伝いにも行かなくてはならない。
来週の次女の誕生日に向けて、
週末はプレゼント選定だの、
アイスクリームケーキだの、
ケンタッキー・フライド・チキンだの、
やらなくてはならないことが、
目白押しなのだ。
こんな時に寝込んだりしたら、
次女が悲しんでしまう。

去年は、すみっこフォンが欲しいと言って、
予算オーバーなのにプレゼントした。
今年は、アイパッドが欲しいそうだが、
これはかなりの予算オーバーの為、
保留となっている。
次々と欲しいものを見つけてきては、
「買ってほしい」とねだる次女。

なぜんそんなに次から次へと、
欲しいものが見つかるものなのか。
どうやら同級生が持っているらしいが、
専業主婦家庭のうちでは、
そんなにぜいたくをさせるわけにはいかないのだよ。
とは思うが、悲しいかな、次女には弱い私。

誕生日とお年玉を足して、
なんとかアイパッドを買ってあげるか。
でも主人は反対姿勢だし。
どうするか。
次女も譲る様子はないし。
困ったな。
ああ、喉がいがらっぽい。


しばらくして、長女が起きてきて、
お昼ご飯の調理パンを食べた。
デザートのブドウゼリーもぺろりと平らげた。
「もうお腹いっぱい」
そう言って、こたつの中でテレビを観て、
だるそうにしていたから、
布団に入るように促したら、素直に寝室に入っていった。
熱が下がったので、
ようやく一安心の気分になった。

10月は長女誕生日で、
11月は次女の誕生日で、
12月は私と主人の誕生日で、
そしてクリスマスである。

秋から冬にかけての我が家は、
イベントが盛りだくさんで。
ついでに出費もてんこもりで。
主婦としては、やりくりが大変である。
もう少し、まんべんなくばらけるとか、
ボーナスの後にするとか、
色々希望はあるが、言っても始まらない。
どうにかこうにか、こなしていくしかないのだ。

風邪の季節は、イベントの季節。
早く体調を治さないと、
困ったことになる。

だけど。
わくわくする季節でもある。
家族っていいものだ。

【エッセイ】幼稚園の焼き芋

今週のお題「芋」

 

今は小学生の2人の娘が、幼稚園にいたころの事である。

 

その園では、毎年、園庭に枯葉や枯れ枝を積み上げて、

焼き芋を作り、園児や保護者にふるまっていた。

園の卒園生もまざることもあり、

地域に根付いた行事であった。

 

しかし、ある年の秋に、降園時に保育士さんから保護者へと、

「枯れ枝が足りないので協力してほしい」

とのお願いがなされた。

どうやら、いつものミカン狩りの際の枯れ枝拾いが、

あまりかんばしくなかったらしい。

本当に困った様子で、頼んできたのである。

 

そういえば。

昨年の焼き芋は少し、芯が残っていた。

毎年の行事なので、何度も食べているが、

あんなに芯がある芋は初めてであった。

 

「そうか。だから焼きが甘かったのか。

枯れ枝や枯葉が足りないから、

火力が足りなかったのか」

と一人納得していたのである。

 

さて、どうするか。

周囲のママさんたちはやはり、

枯れ枝や枯葉など、無縁の様子。

それはそうだ。

皆集合住宅だったり、

一軒家だったとしても、

住宅街の50坪ほどの家なのだ。

そんな農家さんのようなリクエストをされても、

どうもしようがないというもの。

 

そして、さらに聞こえてきたのが、

例年枯れ枝をもらっていたお宅から、

もらえなくなったのだとか。

それは、えらいこっちゃ。

 

今年も前年のように、

少し芯の残った焼き芋で我慢するか。

それでもいいのだが、

やはり、おととしの、

美味しい焼き芋の味が忘れられない。

小ぶりながら、しっかりアルミに包まれた芋は、

開けるとふわっと湯気がたち、

どうしようもなく美味しかった。

 

「あっつい、あっつい」を連呼しながら、

そばにはまだ未就園児や赤子を連れたママさんたちと、

なごやかに芋を食べた楽しい思い出。

それはやはり、

あのねっとり、しっとりした、

焼き芋でなければならないと、

私に思わせたのである。

 

どうにかしたい。

俄然、ヤル気になった私は、

保育士さんの所に行き、

「うちの家の生垣の枯葉が、

毎年すごくあるんです。

良かったら、焼き芋用に使われますか?」

とたずねてみた。

すると保育士さんの顔がぱあっと明るくなり、

「ありがとうございます!助かります!」

と嬉しそうな声で答えてくれたのである。

 

「よかったです。でも車がないので、

持って来ようがなくて、どうしましょう?

土日なら、園に持ってこられますが、

置いておいてもいいですか?」

そう尋ねると、

「すみません。

園には、火が付きそうなものは置いておけないのです。

車がないのでしたら、

私たちがお宅に取りに行きますよ」

とのお返事で、後日取りに来てくれた。

 

そしてうちに取りに来てくれた保育士さんは、

ゆうに20袋はあろうかという枯葉のごみ袋の山を見て、

一瞬、言葉を失っていた。

「これ全部、持って帰れってか?」

そうはいっていないが、

表情はそう語っていた。

 

「全部は持って行かなくていいですよっ!

必要な分だけでっ!」

あわてて気を使って私が言うも、

一旦引き取りに来たからと、

保育士さんも引き下がらない。

結局、全部車に積んで、幼稚園に運んでくれた。

私の家の駐車場はすっきりしたけれど、

自分の車に枯葉の山を積んだ保育士さんの気持ちはいくばくかと、

少々気になっていた。

しかし、持って行ったものはもう、

どうしようもないのである。

 

翌日、無事に焼き芋は焼けていた。

もくもくと白い煙を上げて、

昨年にはない長時間の焼き時間で、

しっかりと私の家の枯葉たちは役目を果たしてくれたのである。

うちの娘も、近所の人も、

みながうれしそうに焼き芋をほおばっている。

 

「どうぞ」

と保育士さんが勧めてくれたので、

私もひとつ食べてみた。

これ、これ。

ねっとり、しっとり、

きれいな黄金色のほっかほか焼き芋が、

その甘さを存分に発揮してくれていた。

やはり、しっかり焼けた芋は美味しい。

我ながら、良いことをしたと上機嫌でその日を過ごした。

 

さて、翌年。

どうやらまた枯れ枝や枯葉が足りないらしい。

そして、私は、

「枯れ枝や枯葉、今年もありますけど?」

と聞いてみた。

「大丈夫ですよー」

保育士さんが言うので、

なんとか都合をつけたのかと、

ちょっぴり残念に思いながら、

納得していたのである。

 

ところが、その年の焼き芋はまた、

芯が残っていたのである。

どうやら、また枯れ枝が足りなかったらしい。

しかし、私の家の枯れ枝ゴミ袋は、

必要ないらしい。

うーん。

そういうことか。

 

保育士さんの自前の車に、

枯れ枝を、これでもかと詰め込んだため、

そのきれいな車が、

おそらく汚れたのではないかと。

だから、必要な分だけでいいと言ったのに。

全部詰め込んだのは、保育士さんだよ、と。

誰にともなく言い訳をして、

自分の心を納得させた。

 

小さな親切、大きなお世話?

焼き芋の季節になると思い出す、

ほろりと苦い、幼稚園の思い出である。

 

【エッセイ】次女の学級閉鎖

次女の学年(小4)が、

3日間の学級閉鎖になった。

 

発熱、インフルエンザ、コロナ、

だと疑われる症状で休む児童が多かったようだ。

この時期、空気の乾燥や、

朝夕の微妙な冷えがあるので、

体調を崩す子が多いのも仕方がない。

あまり重症化しなければいいがと、

よその子のことながら、親心でそう思った。

 

そんな私とは裏腹だったのが次女である。

周囲がそういった状況でも、

いつも通り元気な次女は、

祝日と土日を含めて、6連休になることに、

やや、ラッキーだという様子であった。

子供なのだから、いたしかたがないのかもしれない。

 

そもそも。

最近の次女は学校嫌いなのである。

授業の板書も、本読みも、

一時間ずっと椅子に座っておくのも、

意味がない、と思っているのだ。

 

朝も弱いので、なかなか起きない。

そこへきての、小4からは、6時間授業。

どうやらしんどいようである。

 

「教科書を読めば、30秒で分かることを、

なぜえんえんと一時間もかけて説明するのか?

意味が分からない」

そうなのだ。

なるほど。

読書好きな次女らしい、

痛いところをついた指摘であった。

 

私だって、その指摘を、

全面的に否定する論理は持ち合わせていない。

だが、のみ込みの遅い子に合わせるのは、

仕方のない事なのだ。

そうしなければ、30人近い児童に1人の先生、などという、

一斉授業は成り立たないのだ。

 

一応、次女にも説明はしてみたが、

次女は取り合ってはくれない。

小学4年生相手に、大人の事情を分かれという方が

無理なのだろう。

 

学級閉鎖というのは、

学校側からすると困った状況だが、

学校嫌いの次女からすると、

悪い気はしないのである。

 

つまらない授業をひたすら聞かなくていいし、

長い道のりの登校もしなくていい。

何より、やる意味の分からない漢字を書く宿題が、

平素よりは少ないであろうことを思うと、

気が緩んで、やれやれという気になったようだ。

 

一応、「午後3時までは家にいないといけない」

という先生のいいつけは守るようで、

私の買い物にも付き合うことはなかった。

その意思の固さはあっぱれだとは思うが、

問題は時間の使い方である。

大した宿題もでていないため、

時間が余って仕方がない。

ついつい、

ゲームやユーチューブにのめりこむのも無理はない。

 

私の外出中に、4時間もの時間をユーチューブに

費やしていたといい、

「何を浮かれて遊んでるのよっ!」と、

子供に手を焼いているのは、

私だけではないだろう。

 

けれど、良い事ばかりではないのが、世の常。

学級閉鎖から3日目、

次女の体調に異変が起こった。

 

「ご飯を食べられない」

「のどが痛い」

「熱が38度以上ある」

どうやら、学校のインフルエンザをもらってきたらしい。

やれやれ。

しっかりと養生せねばと、

次女を布団に寝かせることにした。

 

そんな時に限って、

お友達とイオンに行く約束をしている。

仕方なく、連絡先が分からないので、

車で自宅に行き、事情を説明した。

申し訳ない気持ちと、

次女のせつなさを思い、

沈んだ気持であった。

 

「延期して、行けるようにするから」

と次女に説明しても、

涙を流して悲しみに暮れている。

しかしどうすることも出来ない。

こんな時、親は無力である。

けれどすべてが万能にうまくいく人生などありえない。

「今回のハードルを越えて、

たくましくなってくれ」

と祈るばかりであった。

 

発熱から3日経ち、

次女はようやく回復の兆しを見せた。

すると、

「どこかに連れて行け」

という。

「お友達とのイオンも行けず、

何もできていない。

なにもない6連休などありえない!」

のだそうだ。

 

そんなことを言ったって、

もともと、病人が多いからとの学級閉鎖であり、

それに自分がり患したからといって、

「遊び足りない」

とは何ごとかと。

しごく当たり前の感覚でいたのだが、

主人は違っていた。

 

「うるさくいうのなら、外食でも連れていこう」

であった。

本当は、自分が行きたい気持ちもあったんでしょ?

と、言葉にできない気持ちを、

心でつぶやいた。

どちらにせよ、

「僕がお金を出して外食に行く。

それならいいでしょ?」

というので、

「それなら、どうぞ、どうぞ」

と2つ返事で了承した。

 

病み上がりの次女を連れて、

近所のイオンで「パンバイキング」のランチに行く。

焼き立てのパンをほおばって、

ドリアやハンバーグをほおばって、

楽しくおいしい時間を過ごす。

 

3日間も布団に入っていた次女。

久しぶりの外の空気に、

とても楽しげであった。

 

思いがけず、本当の意味での、

「学級閉鎖の休日」

をすごすはめになったけれど、

おいしいランチをごちそうになったのだから、

悪い事ばかりではなかったよと、

私は思いたい。

 

食べやすいようにとゼリーとりんごを買いにはしったことも、

大勢の人がひしめく内科で、本人の代わりに受診をしたことも、

終わってみれば、なんてことのない手間だったように思う。

 

母親業は、楽しい。

でも。

時に大変な時もある。

それでも。

家族4人が力を合わせれば、

なんとかなるという気がしている。

こんな時だからこそ、

そんな気持ちに気づかせてもらえるのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【エッセイ】プールでお祭り

二人娘の習っている水泳教室で、

久しぶりに「お祭り」があった。

コロナの関係で、

なかなか思うようなイベントが出来なかった昨今。

ようやく、以前のような活気を取り戻したような感じだった。

 

このプールでのお祭りがどういうものかというと、

プールにいろいろな遊ぶものを用意して、

プールの中で遊ぶ、というもの。

例えば、水面に大きなビート板のような板を浮かべて、

その上を歩いてみたり。

筒形の半透明な巨大浮き輪のような遊具を浮かべて、

その中に入って、ハムスターのようにまわしてみたり。

ビート板や腰腕用浮き輪を付けて、ぷかぷかういたり。

普通にちゃぷちゃぷ泳いでみたり。

 

いつもの練習とは違い、

クラス分けもなく、

皆が一緒になって泳いでいた。

25メートルプールの往復ばかりの通常練習と違い、

お友達とわちゃわちゃ、おしゃべりしながら、

泳いだり歩いたり。

 

ああ、楽しいんだな。

子供本来のそんな姿に、目を細めながら、

いつのまにか苦手なプールが大好きになっている二人娘を

少し誇らしく感じていた。

 

「小学校6年間。

何か一つでも習い事を続けたら、

続けた人にしか見えない景色が見える。

だから、出来れば、見てほしい。

子供の時に培ったことは、一生ものだから」

 

そんな風に思って、

通い詰めたこの6年間だった。

途中、5年半経過した頃のこと。

主人が「そろそろ、プール辞めてもいいんじゃない?」

と言っていたのを思い出す。

十分上達したのだから、

後はほかの事をしてみたらどうかと。

主人の言葉も一理あり、

全部を否定したいわけではなく。

だけど、私はできることなら、

「6年間、やったよ」

と言う実感を、持ってほしかった。

 

長女が2年生の時に、

この水泳教室でお友達が出来た。

お友達もうちの二人娘も、

ともに、どちらかというと口下手で、

人付き合いがあまり上手な方ではなく。

それゆえか、妙に気が合った。

だから、今回も一緒に、

このプールのお祭りに参加したのだ。

 

三人で、おしゃべりして、

泳いで、歩いて、移動して。

ちくわ形の巨大浮き輪に入り、

ハムスター状態で、

くるくる回してはしゃいでみたり。

その中で、滑って転んで、大笑いしてみたり。

 

のんきだなーと、思った。

世の中には様々な困難もあるというのに、

この三人さんは、

まるで、世界は楽しい事しかないかのように、

おおはしゃぎで遊んでいた。

だから、私もうれしくなった。

みんながみんな、眉間にしわを寄せて、

暮らさなくてもいいのよね、と思った。

小学生がいる生活というのは、

そういうものなのだと思ったりもしたのだ。

 

子供が小さいと、

どうしても働き方も制限され、

なかなかに、余裕のある生活は難しい。

学校から、お子さんが発熱しました、と連絡があれば、

何を置いても駆けつけなくてはいけない。

 

病気になった。

けがをした。

お友達と喧嘩した。

学校がつまらない。

エトセトラ、エトセトラ。

 

いつも様々な課題が出てきて、

その度に、どうしよう、どうしようと、

一人でうんうん考えて、

どうにかこうにか、

やっていっている自転車操業状態。

それでもなんとか生活が回っているから、

自分で自分を鼓舞しながら、

「私、やれる!」

と気合を入れて、

乗り切っている。

 

子育ては、誰かに褒められるものじゃない。

だけど。

誰にも褒められないものじゃない。

少なくとも、

子供と、そして自分とは、

なんとなく、ほめているのである。

「よく、やってるじゃーん」と。

 

プールで一通り遊んだ後は、

着替えて、昼食になった。

予約していた、カレーとフランクフルト。

主人曰く、「レトルトカレーだね」だそうで、

確かにそんな感じ。

でも、美味しかったのだ。

味がどうのこうのというよりも、

「海の家のカレー」のように、

水泳教室の横の屋根のあるテラスで、

机と椅子がいくつも並べられ、

イベント感たっぷりの場所で食べるカレーとフランクフルトは、

それだけでもう、

美味しい楽しい気持ちなのだ。

食べ終わった二人がかき氷を食べるもので、

私も一緒にかき氷を食べ、

今年のかき氷納めをしたのである。

家のとは違い、きめの細かいかき氷は、

「海の家のかき氷状態」でもあり、

やっぱり一味も二味も違って感じられた。

 

今年小学6年生の長女が、

いつまでこの水泳教室に通うのか、分からない。

小学1年生で始めた頃は、教室にたくさんいた同級生も、

いつのまにか辞めていなくなり、

ほとんど知らない子供ばかりとなっている。

次女のお友達も、

おととしには、まだたくさんいたが、

最近は見なくなってしまった。

 

「25メートル泳げるようになったら、やめる」

そういう人が多いのが現実であり、

それは仕方のない事なのかもしれない。

習い事の多い時代には、

あれもこれもと、親も子供も、

目移りしてしまうのは、致し方のない事。

 

それでも、私は思うのだ。

愚直に何かを続ける意味を。

いつか二人娘が、

その意味に気づいてくれるかもしれないと。

そして時にそれも、意味を成すのだと。

そんな風に思うのだ。

 

久しぶりのプールでのお祭り。

また、来年も行きたいねと、

みんなが思った、楽しい一日であった。

 

【エッセイ】言葉の裏を読む

おとといから修学旅行に行っていた長女が、

昨日の夜に帰ってきた。

初日の宿泊先の旅館で、

頭痛と腹痛を訴えて、

結果的に嘔吐もした長女。

 

心配していたが、

小学校に迎えに行った時は、

割と元気だったので安心した。

 

翌日は、10時20分から40分までの間に登校すれば良いとのこと。

だから、朝はのんびり朝寝坊していた。

 

疲れたもんねえ。

仕方ないよねえ。

寝かしておいてあげようねえ。

ということで、

主人も私も何も言わず、

寝るのに任せていた。

ゆっくり体を休めてくれればと、

思っていたのだ。

 

でも、次女はつまらなかったようだ。

長女が修学旅行に行ってからと言うもの、

けんか相手がいないせいか、

ユーチューブばっかり見ている次女。

あまり見すぎると目に悪いからととめても、

一向に言うことを聞かない。

長女がいなくて退屈していることが分かっているから、

こちらも何も言えなくて。

結局次女のすきにさせているという状態が続いていた。

 

それでも長女が帰宅してからは、

たぶん、次女も、

やっと、おねえちゃんと朝ごはんを一緒に食べられる、

登校前に、二人で、わちゃわちゃ出来る、

と思っていたのだと思う。

 

それなのに、「ゆっくり10時過ぎ登校」だというもので、

ちょっと肩透かし状態だったのだろう。

ひとりで朝食を食べていた次女が、

ふいに、皿洗いをしている私に声をかけてきた。

 

「ママ、早く、朝ごはん食べなさい」

 

最初は私も、

「ちょっと、いろいろ、やることがあるから。

それが済んでからね」

と言ってから、布団を畳んだり、洗濯をしかけたり、

しようと動き始めた。

でも、すぐに、気が付いたのだ。

 

「あっ、そうじゃない。

私に早く食べろと言っているのは、

自分がひとりで食べたくないからだ!」

 

そのことに気づいて次女の方を見ると、

とっくに食べ終わっている時間なのに、

唐揚げを一つ、ミカンをそのまま、残して、

私を待っているのだ。

 

「早くしないと、唐揚げ食べちゃうよー」

そう言って、ちょっとすねたようにして、

早く早くと、せかしてきた。

 

そうか。

そうなんだね。

素直じゃない次女は、そのまんまを口にできない。

おねえちゃんが遅い登校で、

一緒に朝ごはん食べられないから、

ひとりでは寂しいから、

ママと一緒に食べたいのだと、

そんなふうには、素直に言えないのだね。

 

昨日も、おとといも、

次女は何も言わず、ひとりで朝食を食べていた。

どうせおねえちゃんは、修学旅行に行っているのだからと、

たぶん、あきらめがついていたのだろう。

そして、たぶん、最初はひとり朝食も我慢できただろう。

 

それが。

今日はやっと、一緒に食べられると思っていたのに、

それが叶わず、ひとり朝食が3日目にもなり、

もう耐え切れなくなったのだろう。

私への朝食の言葉は、

そういう事だったのだと悟った。

 

そうして、すぐに次女のもとに行き、隣に座り、

私はいつものお茶漬けを、

次女は最後のから揚げを食べ、ミカンを平らげ、

朝食は終了した。

 

その後、前髪をゴムでくくり、それをピンでなでつけて、

最近のお気に入りの髪形を自分で作りながら、

ふん、ふん、ふふふん、ふふふん、

と楽しそうにハミングしていた。

 

もしも次女が一人っ子ならば、

こんなに寂しがり屋ではなかったのかもしれない。

いつのまにか長女と一緒にいることが当たり前になっていて、

それがひとりになると、

寂しくてしかたなくなってしまったのかもしれない。

いつもは喧嘩する癖に。

昨日の夜も、とっくみあいのけんかをして、

ママに大叱られしたくせに。

何回言っても、学習しない、

けんかっぱやい二人姉妹のくせに。

 

毎日。

二人の育児と、老親のお世話と、ボランティアと、ジムと、畑と。

色々なことをやっていて、

ばたばたしっぱなしの私。

なぜこんなに、せかせかした生活を繰り返すのだろうかと、

たまに悩むときもある。

そしてそのバタバタのせいにして、

二人の娘の話をあまり、

じっくり聞いていないことがあり、

それが決して少なくないようにも思える。

 

だけど、たまにこうして、

次女の言葉の裏を読んで、

その本心に気づいた時、

自分の至らなさが恥ずかしくなる。

こんな、気づかないママで、ごめんねと。

 

きっといままでも、

見過ごしてきたことがいっぱいあったのだろう。

二人娘の言葉の裏にある本心に、

気づいてあげられなかったことが、

たくさんあったのだろう。

そう思うと申し訳ない気持ちでいっぱいになる。

 

でも決して、それを巻き戻すことは出来ない。

どんなに反省したところで、

取り戻して、やり直すことは出来ないのだ。

ならば、せめて、これからは。

たまにはちょっと立ち止まって、

言葉をきちんと受け止めてあげたいと思う。

今まで流していた言葉を、

その真意を汲んであげたいと思う。

すべての言葉を熟考するのは無理だとしても、

言葉をきちんと受け止めようという気持ちは、

持っていたいと思うのだ。

 

二人の言葉はこれから、もっと、

複雑になっていくのだろう。

そして私が気づかない、言葉の裏が、

たくさんできるのだろう。

言葉の裏を読むことなど出来ないほど、

いろいろな考えを持って、

話をするようになるのだろう。

 

けれど。

そうだとしても。

二人娘の言葉の裏を読むことを、

あきらめたくはない。

二人の心をおしはかる手がかりになる、

言葉と言うものを、

大切にしていきたい。

 

なぜなら私は「お母さん」だから。

これからもずっと、「お母さん」だから。

 

完璧ではないけれど。

だからこそ、

楽しい育児ライフを、

これからもしっかりとやっていきたいと思う。

 

 

 

【エッセイ】長女にお友達が出来た!

先日のこと。

うちの長女にちょっかいを出してくる女子2人組がいて、

でもその理由が「仲良くなりたい」と分かった。

その後、どうなるか、どうなるか、

と母としては動向を見守っていた。

結果として。

人見知りの女子2人組と、

ボッチ生活の長い長女とで、

どちらからもアクションがなく、

いつまでも平行線のまま。

今もってお友達とはなっていない。

 

「話しかけたらいいのに」

と長女に言ってみたものの、

やはり、話しかけられないようで、

そのまま尻つぼみの状態になりつつある。

 

折角の「お友達が出来るチャンス」

を棒に振った長女。

少々ガッカリしつつ、

「まあ、仕方ないか。これもまた人生」

とあきらめて、

もうすぐ来る修学旅行も先が思いやられるなと

思っていたのだ。

 

ところが、ここへきて、予想外の展開が。

ちょっかいを出す女子ではなく、

別のグループから、

「うちのグループに入らない?」

とのお誘いがあったのだとか。

そして、長女はそれにのっかって、

グループに入ったようなのだ。

なんと!

「そんなことがあるのか?」と、

最初は半信半疑で、

「からかわれてるんじゃないの?

なんかあったら、母がすぐに駆け付けるぜっ!」

と思っていたのだが。

まったくもってそんな心配は無用で、

何だか毎日とてもルンルンしているようなのだ。

 

そのグループは女子と男子、

合わせて10人くらいのグループらしい。

それだけの大所帯ならば、

ちょっと個性的な長女がいても、

だれかしらは優しい人が混ざっているだろう。

 

というか、そのグループのメンバーを聞く限り、

どうやら、優しいグループのようだった。

 

私は小学校のボランティアとして、

読書ボランティア、家庭科補助ボランティア、など、

いろいろ行っているので、

「○○ちゃん(クラスメイトの女子)、あなたと合いそうだけど、

お友達になれないの?」

と実は、聞いてみたことがあるのだ。

その時は、長女が、

「○○ちゃんのグループは、うちわだけの話で、良く分からないことを

言っているから、多分、私は無理だと思う」

としり込みしていたのだ。

 

でも今や、その○○ちゃんのグループに入り、

なんやかんやと、一緒になって遊んでいるそうな。

 

残念ながら、下校後は一緒には遊べない。

その女子たちのいつも遊ぶ公園は、

うちからかなり遠いから。

でも小学校の中だけでも一緒にいてくれると、

長女はかなりうれしいようだ。

 

今まで。

学校のクラブ活動や委員会活動などで、

クラスメイトと交流することはあっても、

そういう枠組み無しでは、

なかなかみんなになじんでいけなかった長女。

たぶん、こんなに生き生きするの、

初めてくらいじゃないかな?

こんなふうに、みんなの輪の中に入れてもらい、

その後もずっと、楽しく過ごせることなんて。

 

近所のリーダー格の女子に仲間外れみたいなからかわれ方をして、

それ以来、その子の周りの女子が、

さあーっと、潮が引くようにいなくなってしまい、

そうして始まったボッチ生活。

 

時にはクラスメイトの大柄な女子に、

「○○ぶー!」

といわれのない汚い言葉を投げかけられたこともあった。

母から見れば、かわいいところのある、

普通の小学生女子なのに。

それなのに。

 

くやしくて、くやしくて、

涙が出た時もあった。

長女と二人で、どうやって小学校生活をしたらいいのか、

道筋が全く見えなくて、

途方に暮れた時もあった。

 

一体私と長女が何をしたというのだろうか。

ただ、家を買って、引っ越してきて、

そこに住んでいただけなのに。

勝手にからかわれて、3歳も年上の近所の女子にハブられて、

その妹が同級生だから、その子の周りの子らにもハブられて。

 

「ああ、こうして、仲間はずれが大きくなっていき、

居場所がなくなるんだな」

と学んだのだ。

今まで、自分ではわからなかった子供のやり方が、

その時ようやく見えてきて、

正直、「やりすぎだな」

と思った。

けれど、もっと困るのは、ママさん同士も、

そうやって、子供と同じことをするということ。

親と子は関係ないだろうに。

リーダー格の小学生女子のママは、

ママさん仲間内でも、やはりリーダー格なので、

自然と子供と同じ状態になっていく。

そうして、うちの家に遊びに来たい子らは、

うちに遊びに来れなくなっていったのだ。

悲しい事である。

 

けれども。

仕方のない事です。

起きてしまったことは、もう元には戻らない。

それを引き受けて、生きていくしかないのだから。

 

ただ。

今になって思うのは。

あの時の仲間はずれがあり、

それを乗り越えた先に、

長女と私の今があるのだということ。

 

今の長女を受け入れてくれたグループの女子は、

きっと、少々のことは流してくれるだろう。

だって、リーダー格の女子に、

にらまれていた長女なのだから。

そんな子を、わざわざ声をかけて、

グループに入れてくれたのだから。

いくら感謝しても、感謝しきれない。

本当にありがとう。

うれしすぎて、しばらく、

心がふわふわしっぱなしだった。

 

仲良しが出来ても、

そのうち、多少の喧嘩や意見の食い違いはあるだろう。

その時、もしかしたら、また、

長女が悩むことがあるかもしれない。

けれど。

喧嘩して。

仲直りして。

それを繰り返して。

そうやってできた絆は、

きっと強いものだと思うのだ。

 

ありがたいことに、このグループには男子もいる。

良い緩衝材となって、

グループを包んでくれるように思えるのだ。

 

将来の小さな喧嘩の可能性など、

今から考えても仕方のない事。

それよりも。

そんなことがあったとしても、

それを乗り越えることが出来るような絆を、

作ってくれることを祈っている。

 

でも、まずは、おめでとう!

小学校生活最後の学年、

めいっぱい、楽しんでね。

お友達といっしょにね!

 

ああ、うれしい日である。