冬菜かしこの「小学生、中学生と遊んでみたり、学んでみたり」の日々

二人娘と一緒に遊んで、学んで、楽しんでいるアラフィフ小学生ママの記録です。

【イベント】福祉のお仕事体験

先日、次女が療育の日で、送り出したあと、

長女と二人で福祉のお仕事体験に行ってきた。

これは長女が申し込んだもので、

地元のリハビリの専門学校が主催している、

「福祉のお仕事とはなんだろう」

というテーマで、小学生を対象に行っているもの。

 

具体的には、指を固定する器具を作ったり、

ギプスをはめて体験したり、

聴診器で自分の心臓の音を聴いたり、

立体パズルを組み立てたり、

といったことをした。

 

日頃から、福祉とか環境問題とか、

そういう、ちょっと公共的な利益のことに関心を寄せる長女。

自分のことよりも、どうやら、

みんなの公共の利益のことが気になるよう。

まだ小学生なので、

大きなことを行うことは出来ないが、

こうして体験に出かけることで、

自分の知識や情報を得て、

本物の器具や実際の先生方のお話を聞いて、

何かひとつでも売るものがあればいいなと

思っている。

 

大きなフロアに20人ほどの小学生と保護者。

そこに先生方が10名ほど。

3つのグループに分かれて、

時間もゆったりととっていただいていて、

あわてることなく、

しっかりと体験することが出来た。

 

最初は指の固定の器具を作った。

熱めの湯でプラスチックを温めてゆるめ、

それをハサミで装着部位に合わせて切り、

再度温めて、指に固定して形を整え、

冷えたらその形になる、というもの。

何度もあたためられるので、

何度も使えるそう。

そして、長女は人差し指に型をとり、作成し、

それを別の指にはめてもみて、

「なんか、違和感ー」

と、指の形に合わせることの大切さを実感したり

していた。

 

普段こうした本物の器具を作ることもないので、

貴重な体験だった。

私自身もこのような器具があること自体しらなくて、

「軽くて、空気も通す固定器具」

とは、とても便利なもんだなと感心しきりだった。

 

次に段ボールで手作りされた義腕を付けて、

実際に動かしてみた。

「腕を切り落とさなくてはならなくなった人用の義腕」

というお話を聞いた時は、

正直胸が痛んだ。

そして自分が普段何気なく動かしている腕が、

本当にありがたいのだと感じた。

 

長女が実際に段ボールを付けて動かしてみたのだが、

なかなか動かしにくかったよう。

物をつかんだり、物を離したり。

それだけでも大変なことだった。

実際の、段ボールじゃない、

本物の義腕も装着させていただいたが、

大人用だったこともあるが、

そのものも重いし、動かすのもかなり力がいるし、

これは大変だ、と思った。

それでもこれがあることで、

生活が楽になる方がおられる。

こうした仕事はありがたいなと感じた。

 

最後は聴診器で心音を聴いたり、

立体パズルを組み立てたりした。

心音は、長女はすぐに自分のが分かったのだが、

私のは結局分からずじまいでした。

私も聴診器をお借りして、

自分の心音を聴こうとしたのだが、

分からずじまいだった。

先生曰く「分かりにくい方もおられます」

とのことで、何回か試した後、

あきらめた。

 

立体パズルの方は、お手本の本をみながら、

その形になるように、

サイコロ型のパズルと置いていく。

ページをめくるごとに難しくなり、

4、5回目のころは、なかなか難易度が上がっていた。

それでも、チャレンジするのが好きな長女は、

「面白ーい!」

と言って、嬉々としてやっていた。

私も楽しく参加した。

 

今回は、福祉のお仕事体験だったが、

やはりこうした「お仕事を実際に見る」

というのは大切なんだろうなと思った。

主人が会社員ということもあり、

なかなか「仕事風景」を見せることが出来ない。

それだけに、こうした機会を利用して、

現場に触れることは、

小学生と言うまだ小さい娘にとって、

とても良い経験なのだろうと思う。

 

今すぐになにか、成果が出るわけではないのだろう。

もしかしたら、それはこの先数十年も

日の目を見ることがないかもしれない。

あるいは一生、こうした経験を糧にすることは

ないかもしれない。

なにもかもが都合よく、

経験の全てが、血となり肉となるとは

限らない。

もっといえば、たくさんの無駄な経験を

私たちはしていくのかもしれないと、

思っているのだ。

 

でも。

私は思うのだ。

たくさん、たくさん、うーーーんと、たくさん。

無駄なものを目いっぱいしていくことで、

その分母は広がっていき、

広がれば広がるほどに、

可能性も上がるのだと。

 

ゼロに何をかけても、

ゼロにしかならないように。

なにも経験しなかったら、

それはゼロのまま。

 

それを、ゼロから1にして、

答えを1にしていく。

それを、1から2に増やして、

答えを2倍にしていく。

そうして増やしていくことで、

なにかが変わっていくのだと、

そんな風に思うのだ。

 

大したことは出来ないママ。

でも、可能性を広げるものがあるならば、

可能な限り、広げてあげたいと思う。

「大したことないママだから、こそ」

 

子供たちの未来を、

わくわくするものに、

してあげたいと思っているのだ。