冬菜かしこの「小学生、中学生と遊んでみたり、学んでみたり」の日々

二人娘と一緒に遊んで、学んで、楽しんでいるアラフィフ小学生ママの記録です。

【エッセイ】幼稚園の焼き芋

今週のお題「芋」

 

今は小学生の2人の娘が、幼稚園にいたころの事である。

 

その園では、毎年、園庭に枯葉や枯れ枝を積み上げて、

焼き芋を作り、園児や保護者にふるまっていた。

園の卒園生もまざることもあり、

地域に根付いた行事であった。

 

しかし、ある年の秋に、降園時に保育士さんから保護者へと、

「枯れ枝が足りないので協力してほしい」

とのお願いがなされた。

どうやら、いつものミカン狩りの際の枯れ枝拾いが、

あまりかんばしくなかったらしい。

本当に困った様子で、頼んできたのである。

 

そういえば。

昨年の焼き芋は少し、芯が残っていた。

毎年の行事なので、何度も食べているが、

あんなに芯がある芋は初めてであった。

 

「そうか。だから焼きが甘かったのか。

枯れ枝や枯葉が足りないから、

火力が足りなかったのか」

と一人納得していたのである。

 

さて、どうするか。

周囲のママさんたちはやはり、

枯れ枝や枯葉など、無縁の様子。

それはそうだ。

皆集合住宅だったり、

一軒家だったとしても、

住宅街の50坪ほどの家なのだ。

そんな農家さんのようなリクエストをされても、

どうもしようがないというもの。

 

そして、さらに聞こえてきたのが、

例年枯れ枝をもらっていたお宅から、

もらえなくなったのだとか。

それは、えらいこっちゃ。

 

今年も前年のように、

少し芯の残った焼き芋で我慢するか。

それでもいいのだが、

やはり、おととしの、

美味しい焼き芋の味が忘れられない。

小ぶりながら、しっかりアルミに包まれた芋は、

開けるとふわっと湯気がたち、

どうしようもなく美味しかった。

 

「あっつい、あっつい」を連呼しながら、

そばにはまだ未就園児や赤子を連れたママさんたちと、

なごやかに芋を食べた楽しい思い出。

それはやはり、

あのねっとり、しっとりした、

焼き芋でなければならないと、

私に思わせたのである。

 

どうにかしたい。

俄然、ヤル気になった私は、

保育士さんの所に行き、

「うちの家の生垣の枯葉が、

毎年すごくあるんです。

良かったら、焼き芋用に使われますか?」

とたずねてみた。

すると保育士さんの顔がぱあっと明るくなり、

「ありがとうございます!助かります!」

と嬉しそうな声で答えてくれたのである。

 

「よかったです。でも車がないので、

持って来ようがなくて、どうしましょう?

土日なら、園に持ってこられますが、

置いておいてもいいですか?」

そう尋ねると、

「すみません。

園には、火が付きそうなものは置いておけないのです。

車がないのでしたら、

私たちがお宅に取りに行きますよ」

とのお返事で、後日取りに来てくれた。

 

そしてうちに取りに来てくれた保育士さんは、

ゆうに20袋はあろうかという枯葉のごみ袋の山を見て、

一瞬、言葉を失っていた。

「これ全部、持って帰れってか?」

そうはいっていないが、

表情はそう語っていた。

 

「全部は持って行かなくていいですよっ!

必要な分だけでっ!」

あわてて気を使って私が言うも、

一旦引き取りに来たからと、

保育士さんも引き下がらない。

結局、全部車に積んで、幼稚園に運んでくれた。

私の家の駐車場はすっきりしたけれど、

自分の車に枯葉の山を積んだ保育士さんの気持ちはいくばくかと、

少々気になっていた。

しかし、持って行ったものはもう、

どうしようもないのである。

 

翌日、無事に焼き芋は焼けていた。

もくもくと白い煙を上げて、

昨年にはない長時間の焼き時間で、

しっかりと私の家の枯葉たちは役目を果たしてくれたのである。

うちの娘も、近所の人も、

みながうれしそうに焼き芋をほおばっている。

 

「どうぞ」

と保育士さんが勧めてくれたので、

私もひとつ食べてみた。

これ、これ。

ねっとり、しっとり、

きれいな黄金色のほっかほか焼き芋が、

その甘さを存分に発揮してくれていた。

やはり、しっかり焼けた芋は美味しい。

我ながら、良いことをしたと上機嫌でその日を過ごした。

 

さて、翌年。

どうやらまた枯れ枝や枯葉が足りないらしい。

そして、私は、

「枯れ枝や枯葉、今年もありますけど?」

と聞いてみた。

「大丈夫ですよー」

保育士さんが言うので、

なんとか都合をつけたのかと、

ちょっぴり残念に思いながら、

納得していたのである。

 

ところが、その年の焼き芋はまた、

芯が残っていたのである。

どうやら、また枯れ枝が足りなかったらしい。

しかし、私の家の枯れ枝ゴミ袋は、

必要ないらしい。

うーん。

そういうことか。

 

保育士さんの自前の車に、

枯れ枝を、これでもかと詰め込んだため、

そのきれいな車が、

おそらく汚れたのではないかと。

だから、必要な分だけでいいと言ったのに。

全部詰め込んだのは、保育士さんだよ、と。

誰にともなく言い訳をして、

自分の心を納得させた。

 

小さな親切、大きなお世話?

焼き芋の季節になると思い出す、

ほろりと苦い、幼稚園の思い出である。