冬菜かしこの「小学生、中学生と遊んでみたり、学んでみたり」の日々

二人娘と一緒に遊んで、学んで、楽しんでいるアラフィフ小学生ママの記録です。

【イベント】地元の実験イベント

地元の公的な施設のイベントに行ってきた。

小学生向けの実験教室のイベントだ。

去年も、他の学校ではあるが、

「手作りエコ扇風機作り」に行っていて、

こうした体験は楽しいだろうと思い、

自転車とJRとで、

えっちらおっちら出かけてきた。

 

今回のイベントは、地元の理系の大学が取り仕切っていて、

学生さんらが6、7名ほど頑張ってされていた。

二人娘も年の近い大学生さんたちの行う実験を、

興味深々で見ていた。

特にこの実験イベントに申し込んだ長女は興味深そうに、

実験内容を見ていた。

 

実験のテーマは「ドライアイス」。

ドライアイスを水に入れたり、ジュースに入れたり、油に入れたり。

黙々と出る水蒸気の色や、

水蒸気が出るのか出ないのかとか、

クイズ形式で行っていて、

二人は楽しそうに参加して、

手を挙げていた。

当たった時はうれしそうに、

私に「当たったよー」と教えてくれたりもした。

 

他にも、机の上にドライアイスの塊を置いて、

手で、すーっと押して、

まるでエアホッケーのようにして、

遊んだり。

ドライアイスの蒸発する成分により、

机とドライアイスとがくっつかず、

滑るのだと教えてもらった。

 

また、粉々に砕いた砂状のドライアイスを、

手に取り、すぐに、頭上に投げて、

落ちてくる前に蒸発してなくなる、

というのもした。

それはまるで、冬のスターダストのようで、

なんだかとてもきれいだった。

あんまり楽しいので、

二人とも何度もドライアイスのおかわりをして、

何度も頭上に投げて遊んでいた。

 

最後はカメラのフィルムケースにぎゅうぎゅうに

ドライアイスを詰め込み蓋をして、

床に置き、紙コップで覆って、

爆発させる、というのをした。

結構な爆発音で、ちょっと怖かったのだが、

いつもは出来ない「ザ・実験」という感じで、

何事も経験かなと思った。

 

こうした実験は、なかなか、

自宅では難しい。

でも一度だけ、自宅で似たようなことをしたことがある。

 

それは、自宅で子供と保護者を招いて、

夏に遊んでいた時のこと。

数十名がいたのだが、

中に、アイスを持ってきてくれた方がいて、

その中に、ドライアイスが入っていた。

 

私は幼少の頃、よくドライアイスを水に入れて遊んだ。

昔はわりとドライアイスをもらうことも多く、

水中でぶくぶくするのが楽しくて、

今でも楽しい思い出。

そんなことを思うと、

子供達にもなにか楽しませてあげたいという気持ちが、

むくむくと起きてきた。

 

そこで私がしたことは、

水の中にドライアイスを入れて、

子供たちに質問したのだ。

 

「この水の中に、かき氷のメロンシロップ(緑色)を入れたら、

この煙は何色になる?」と。

「白いままだと思う人」

「緑色になると思う人」

それぞれ聞いて、どちらも手が挙がり、

子供たちが興味を持ったところで、

シロップを投入。

 

結果は、煙は白いままだ。

私の予想通りですが、

子供たちは「わあっ!」となって、

この小さな実験は、

子供たちにほんの少しの楽しみを

与えることが出来たようだった。

 

ママさんの中には、

「シロップがもったいない」

と言う方もいたが、

ほんの少したらすだけだし、

我が家の私物なのだし、

何より、今しかできない実験の効果を思うと、

少々のことはいいではないかな、

と思った。

 

夏の日の小さな実験。

それはきっと、楽しい思い出になるだろうと、

そう思ったのだ。

 

二人娘に、自宅でのその思い出の事を聞いてみた。

庭のプールに入った時、なんとなく、

「家でドライアイスの実験したの、覚えている?」と聞いてみると、

「覚えてなーい」

と二人ともが、すっかり忘れているとのこと。

 

「じゃあ、庭のプールをみんなと入ったことは?」

と聞くと、こちらも、

「うーん、あんまりよく覚えてなーい」

とのこと。

私は、ずっこけそうになった。

 

ドライアイスの実験はともかく、

何度も何度もしたはずの庭プールさえ、

はっきりと覚えてはいないとは!

 

でも、考えてみたら、当時は、

長女でさえまだ小2、次女に至っては年長さん。

しかも3年以上も前のこと。

仕方ないのかもしれない。

とほほとは思うが、

二人に落胆するわけにはいかない。

そういうものなのだろう。

子供って。

 

そう思うと、

まあまあ、そうか、

と納得するしかなさそうです。

 

それでも、

自宅でのみんなが集まってのパーティーの記憶は

けっしてゼロではなくて、

いろいろと質問してみれば、

たまには覚えているものもあるみたいだ。

それで、いいのかもしれないね。

それ以上は、望まなくていいのかもしれないね。

 

地元の実験イベントも、

あっつい中、自転車こいで、JR乗って、

かなりの労力を使って、行ったわけだ。

果たして3年後に、

どれほど覚えているのだろう。

それは今は分からない。

 

でももう、それは、

それほど重要ではないのかもしれない。

「昨日は楽しかった!」

と今は二人が楽しく思っている。

 

それでいいのかもしれない。

いつかなにかの拍子に思い出したら、

もうけものなのかもしれない。

 

大切なのは、折角行ったのだから、

それを活かしてほしい、と思う事ではなく、

将来、自分が何か活動するときの、

目には見えない力になること。

それを蓄積すること。

そんな風に思えてくる。

 

役に立たない何かが、

気づかないうちに役に立っている。

そんなことが人生には、

わりと多いような気がするのは、

私だけなのだろうか。

 

それでも人生は楽しい。

そう二人が思えてくれたら、

そのために私の行動が役にたっているかもしれないなら、

それでいいと思えるのだ。

ママを楽しもう!