冬菜かしこの「小学生、中学生と遊んでみたり、学んでみたり」の日々

二人娘と一緒に遊んで、学んで、楽しんでいるアラフィフ小学生ママの記録です。

【エッセイ】次女と二人で、自宅生け花教室

さて、三日前から学級閉鎖になった次女。

毎日暇暇でしたが、インフルエンザに伴う学級閉鎖の為、

外出もできず、仕方ないかなと思っていた。

でも、さすがに二日も家でゴロゴロしていると、

次女も暇すぎてまとわりつくので、

今日は一念発起して、二人で生け花をしてみた。

 

まずは、家じゅうの花瓶をリビングの一か所に集め、

それぞれ水を入れた。

 

次に、床に新聞紙を広げ、その上に切り花を置いていった。

短時間ならバケツに入れなくても、しばらくは鮮度が持つだろうと

判断した。

これらの花は特別に買ったものではなく、

小学校の生け花を生けるというボランティアで頂いたもの。

一旦は私が花瓶に生けて、玄関やらトイレやらリビングやらに

飾っていたのですが、自分で生けたものも少々飽きてきたので、

次女に提案して「自宅生け花教室」を開催したというわけ。

 

桜や梅や蝋梅や猫柳などの枝物。

菊や水仙やストックやバラやトルコ桔梗やスイートピーなどの花物。

 

いつもはバケツに入れて、次女に生けてもらったのだが、

今日は新聞紙の上にばらばらと置いていて取りやすいらしく、

それぞれのお花を吟味しながら、

あーでもない、こーでもない、

と生けるお花を選んでいまた。

 

「ママは生けないの?」

と次女は何度か聞いてきたが、

次女がどんなお花を選んで、

どんなふうに生けるのか、

それを見たかったので、敢えて見守ることにした。

 

「ママは、今はお花を選んでいるの」

そう言って、次女が気を使わないようにして、

全部のお花から、次女が好きなお花を選ぶように、

私はそばでそっと、見ていることにした。

 

普段は私に遠慮して、

「ママが生けた方がいいから」

などとしり込みする次女だが、

ここのところの暇な日の楽しいイベントに、

ついつい気分がのったようで、

一番大きな花瓶を選んで、

一番大きな桜の枝を選んで、

ダイナミックに生けていった。

 

「桜の枝が後ろを向いているよ」

「花が葉の後ろに隠れているよ」

心でつぶやく。

 

ついつい口出ししたくなる気持ちをぐっとこらえ、

出来上がるまで、とにかく見るだけにしていた。

あれやこれやと試行しながら、

お花を花瓶に入れていった。

たまに枝が固くてはさみで切れない時だけ、

「ママ、お願い。ここ、切れない」

と言われた時だけ、

私が手助けをしていった。

 

出来上がったお花を見て、

「ママ、出来たよ」

と嬉しそうに次女が完成を知らせてくれた。

「タイトルを付けた方がいいの。

これは、春夏秋冬だよ」

そう言って次女が説明を始めてくれた。

 

それによると。

桜とストックとスイートピーと菊で春を表現して、

水仙ギボウシの葉で夏を表現して、

蝋梅とカーネーションで秋を表現して、

猫柳で冬を表現しているそう。

 

細かいところはともかく、

桜が春で、水仙が夏で、蝋梅が秋で、猫柳が冬、

というのはなんとも、それらしい配置のように思えて、

なかなかいいなと、親のよくめで思った。

親ばかついでに、

枝物が後ろと前に、そして、横にも広がっていて、

空間の使い方がいいなと思った。

 

なんていうことのない一日の、

なんていうことのないお花遊び。

それでも、ママと二人のお遊びは楽しかったらしく、

「夏休みみたいー」と言って、

次女はたいそう喜んでいた。

 

私はと言えば。

ボランティアでいただいたお花で、

ちょっと次女と遊んだだけ。

お金も手間もかかっていない、

なんともお手軽なイベントで、

そんなに喜んでもらえるとは。

ちょっと意外な気持ちだった。

 

でも意外とそんなものなのかもしれない。

生意気になってきたとはいえ、

次女は小3、まだまだ9歳の子供なのだから。

 

大人になって久しい、

凝り固まった私の頭の中をほぐしてくれる、

きままな自由人の次女。

その気まぐれさにふりまわされ、

その繊細さに心配し、

決してたやすい育児ではない次女との日々。

 

それでも、きっと。

いつか振り返った時に思い出すのは、

特別な旅行とか、特別な外食とか、

そういうものではなくて、

何気ない日常のひとこまであり、

ありふれた毎日の中の、

ほんの一瞬のひとこまなのだろう。

 

いつだったか、実家の母が言っていたことば。

「特別じゃない日常を、写真に撮っておくといいよ。

その方が、後から見た時に、とても楽しいから」

 

そういうものなのかと、

その時はその言葉を流して聞いていたものだけれど。

今なら少し、分かる気がする。

何気ない日常の、何気ない一瞬の、そのかけがえのなさに。

 

ぎゅっと心に閉じ込めて、

出来るだけ風化しないように、

鮮明に記憶しておこうと思う。

いつか必ず振り返る日が来る。

今という時間は止まらないのだから。

ぎゅっと、ぎゅっと。

今の時間を抱きしめていたい。