冬菜かしこの「小学生、中学生と遊んでみたり、学んでみたり」の日々

二人娘と一緒に遊んで、学んで、楽しんでいるアラフィフ小学生ママの記録です。

次女の生け花

 

こんにちは、冬菜かしこです。

今日は少し暑いくらいの日差しの強い一日でした。

 

三日前の月曜日、小学校の生け花ボランティアに行って来て、

二つほど生け花を生けて、残りのお花をもらって帰りました。

いつもならば、そのまま玄関用にと花瓶に生けるのですが、

翌日に実家のお手伝いに行くのを決めていたので、

「出来るだけ状態のいいお花を実家に持って行こう」

と思い、すべてのお花をどーんとバケツに放り込んでおきました。

 

すると、その日の夕方。

洗面所のところに、小ぶりな花瓶が置いてあり、

中にはかわいいお花が生けられていました。

これは、私が生けたものではないな。

ということは、多分二人娘のどちらかだけど、

こういうのが好きなのは次女だろうと予想して、聞いてみました。

すると案の定、「お花生けたよ」とのお返事がありました。

「かわいい花瓶を自分で選んで、小さいお花を生けたよ」

うれしそうに教えてくれる次女を見ながら、

「どうして今日に限って生けるのだろう?」

と私は首をひねりました。

 

というのも、以前は私の方から、

「お花があるから生けていいよ」と言って見ても、

あまり生け花をしなかったのです。

たまに、やっつけ仕事的に、生けることはあっても、

自分からすすんで生けることなんてなかったのです。

どうして、どうして?

積極的に生けてくれたのはうれしいけれど、

疑問がぬぐえず、次女の行動を思い出して、考えてみました。

 

そういえば。

以前こんなことを言っていました。

私が玄関用に生けた後、

「このお花を崩していいから、自分で生けてごらんよ」

と言った時の事。

「お母さんの生け花を壊したくないから、しないよ」

と次女が遠慮していたのです。

「お母さんのは気にしなくていいよ。自分の生け花をしてごらんよ」

と何度言っても、生けてはくれません。

結局、バケツに残った少ないお花を、自分なりに生けていた次女でした。

 

そんなことを思い出して、考えてみるに、

次女は多分自分が「作ること」が好きだから、

他人の「作ったもの」も大事にしたいのだろうと思いました。

作りてだからこそ、作り手のことを思いやるのだろうと、思いました。

そんな他人行儀なと、母としては思わなくもないのですが、

そんな次女の思いやりに、なんとなく心があたたかくもなりました。

 

そこまで、以前の次女の行動を思い出してみて、

改めて今回の「自らすすんで生け花をする」ことを考えてみると、

一つの結論に達しました。

「バケツに放り込んでいるから、誰のものでもないお花だから、

生けてもいいと思ったのだ」と。

そうか。

たぶん、そうなのだろうな。

一度母が生けたものはくずせないけど、

どさっとバケツに生けてあるものならば、

気楽に使うことが出来たのだなと。

そうと分かれば、次からの私の考えることはひとつ。

生け花ボランティアの後の頂いたお花は、

ひとまず、バケツにどっさりと放り込んでおこうと思います。

なんのプレッシャーも、なんの気兼ねもなく、

次女が次女らしく、生け花が出来るように、

私がそれをお膳立てしておこうと思います。

 

そして。

せっかく生けてくれたのだから、

ほめてあげることも忘れてはいけません。

大事なのは、認めてあげること。

だからたまたま来ていたお客さんに、

「○○ちゃんが生けました」と見てもらったりもしました。

その時はうれしそうにしていて、

見てもらって良かったと思いました。

 

ところが。

せっかくだからと玄関に移動し、

花瓶のまわりの小物を整理し、

お花が引き立つようにしたのですが。

「玄関に飾ったよ」と私が言ってみても、

あまり反応がありませんでした。

「〇〇ちゃんの生けたお花がかわいから、玄関にかざったよ」

とさらに言ったのですが、

「自分が生けたのだから、もうわかっているから、もういい」

とのそっけないお返事でした。

そうか。

「作る人」ってそうなのかもしれませんね。

工作でも絵でも、次々に作り出す次女は、

あまり過去の作品にこだわらないのかもしれませんね。

自分の作ったものを眺めて悦にいってしまう母には、

良く分からない感覚ですが、

なんとなく、ちょっと、かっこいいと思いました。

「いくらでも作れるよ」という気持ちがあるからこそ、

そんなふうに過去の作品にこだわらないのかもしれませんね。

 

いつもはリビングを工作だらけにして、

パパにいっつも叱られている次女なのです。

どうしてお片付けが出来ないのかと、

パパもママももうお手上げ状態の次女なのです。

それでも、もしかしたら、そんな次女だからこそ、

素敵な作品を次々に作り出せるのかもしれませんね。

 

「片付けが出来る普通の人」になってほしいのかと問われれば、

多分答えは「NO」なのです。

たとえほとんど片付けが出来なくても、

驚くべきスピードと、驚くべき好奇心で、

みんながびっくりする作品を次々生み出す、

それもうれしそうに生み出す次女が、

やっぱり私は大好きなのです。

 

あーあ、仕方ないな。

パパに今日も叱られるかもしれないけれど、

次女を「矯正」しようとは、思えないのだから仕方ない。

パパには内緒でこっそりと、ママがリビングをお片付けしましょう。

小学校を卒業する時、

今よりはちょっとでも片付けが出来る子になってくれていたらいいなと、

ほんの少し期待しつつ、気長に待つことにしましょう。

我が家の小さな「芸術家さん」を、

今はもう少し甘やかせてあげるとしましょうかね。

 

明日も面白い一日になりますように☆