実家に泊まって、お手伝いにしていた私のもとに、
朝、一本の電話があった。
それは長女からの、泣きながらの電話。
「今日、8時に目が覚めた。もう、絶対、遅刻する。
もう、学校休んでいい?休みたい」
というもの。
涙声なので、一応、
「学校、休んでもいいけど。
遅刻していけばいいんじゃない?」
と聞いてみると、
「行きたくない」
との一点張り。
「じゃあ、学校に電話しておくよ。
休むんだね」
と念を押して、電話を切った。
はて、さて、どうするか。
ひとまず学校に電話して、
「実家の疫病の看病に来ていて、
子供たちのストレスがすごくて、
今日は寝坊したみたいです。
行けたら遅刻していきますが、
休みかもしれません。
よろしくお願いします」
との連絡をし、
どちらに転んでもいいようにしておいた。
しばらくして電話すると、
すぐに長女が出て、
「なんで学校行っていないの?」
と一応聞くと、
「行かないもん。今から行っても、からかわれるから。
遅刻してからかわれたくないから、絶対に行かない!」
とのこと。
話を聞くと、普段から、長女をからかってくる子が2人ほどいて、
遅刻していくと、そのからかいが更にエスカレートするだろうから、
絶対に行きたくないのだとか。
私にも、「担任の先生に話しておいて」
と、言ってきた。
うーん、えらいこっちゃ。
かるーく、いじられてるっぽいじゃない。
どうしよう?どうしよう?
ひとまず、翌日が参観日なので、実家から自宅に帰宅するので、
帰ったら長女に詳しく聞こうと思って、
電話はおわった。
そうして自宅に帰って、長女にもう一度事情を聞き、
夕方担任の先生から電話があり、
「どうですか?明日はこれそうですか?」
と聞かれたので、長女から聞いた、事情を説明した。
「長女が廊下を歩こうとすると、
それを二人の女児がふさぐようにして、
からかうのが、いやなのだそう」と。
先生は、明日本人から事情を聞きますと言ってくれたので、
ひとまず、母として出来ることはしたので、
安堵した。
翌日の参観日は、長女はわりと普通に頑張っていた。
とくに、クラスの子らに邪険にされる様子もなく、
特別人気者ではないものの、
相変わらず地味にいろいろ頑張っていて様子。
そうして、夕方長女が学校から帰ってきて、
いの一番に聞いてみた。
「先生、どうだったって?」
すると拍子抜けするほどの明るい笑顔と声で、
思わぬ事実を教えられた。
先生は、長女から事情を聞く前に、
相手の二人の女児に事情を聞いたそう。
そして、その内容は驚くべきものだった。
先生曰く、
「○○ちゃん(廊下をふさいできた女児)は、△△ちゃん(長女)と
仲良くなりたいんだって」
だそう。
なんでも、
廊下をふさいだり、
ちょっかい出したり、
からかったりしたのは、
長女とどんなふうに仲良くしたらいいのか分からないから、
そういう態度に出ただけ、
とのことだった。
もう一人の女子は、すこーし、からかう気持ちがあったものの、
それほど本気ではなく、どちらかといえば、
かかわりあいになりたかったのだそう。
まるで。
好きな女の子にちょっかいだす、
小学生男子のやり方ですやんか、、、。
なんか、ひょうしぬけ。
でもなんか、ちょっと、うれしいですやんか。
ぬほほ。
話してくれている長女の顔は、
もう、にやにやが止まらない。
今までどんなに望んでも出来なかったお友達が、
しかも、かわいらしい、人気者タイプの女子が、
向こうから、かかわってくれようとしてくれていたなんて!
このかわいい女子は、私とママ友さんで、
コロナの流行前は、みんなでよくうちに集まってくれていた仲間なのだ。
どちらかといえば、身内みたいなもの。
小学校で顔を合わせると、かわいい子も、ママさんも、
私ににこにこしてくれていて、
どちらかといえば、仲良しさんになるような感じ。
だから、長女とたもとをわかつのはおかしい、とは思っていたのだが、
まさか、お友達になりたい、とまで
思ってくれていたとは!
いやはや、
人の気持ちとは分からないもの。
まったくもって、想定外だった。
でも、うれしい。
非常に、うれしいよ。
今まで、向こうからこんなにアクションをしてくれた人が
あっただろうか?
、、、いや、なかったね。
でも、それは昨日までの長女。
この日から長女は変わるのだ。
「ぼっち生活」から
「お友達がいる生活」になるのだ。
もう、気持ち的には、お赤飯祭りしたいくらいの
私の喜びよう。
そこへ、長女が一言った。
「でもね、ママ。
○○ちゃんと、どうやって、お話したらいいか分かんない」
困っているようなので、私は気楽な感じで言った。
「なんでも、いいのよ。
おはよう、とか。
今何してるの?とか。
とにかく話しかければいいのよ」
ところが長女はそう聞いても、困ったまま。
「わたし、話しかけられない、、、。
どうしよう、、、」
長い長い、ぼっち生活で、
歌を忘れたカナリヤのように、
長女はお友達との交流の仕方を忘れたようだった。
あーあー、、、。
ちょっとかわいそうな気もしますが、
相手が前向きにちょっかい出してくれている以上、
なんとかしてくれるのではないかと、
私は思うことにした。
「○○ちゃん、前はよく家に遊びに来ていたし。
幼稚園の時には、一緒にクッキー作ったりしてたじゃない?
誘ったらいいよ。
ママはいつでも、準備してあげるから」
そう言っても長女は、
「みんな、習い事とか塾とか、忙しそうだしなー」
と相変わらずの、消極姿勢。
うーん。ちょっと、むずいな。
あまりにも、ぼっち生活、長すぎたか。
そこでもう、この方法にしてみた。
「むこうから話しかけてくるのを待ってたら、いいんじゃない?
だって、からかってくるぐらいだもん。
なんかしゃべってくるかもよ」
その提案には、長女も納得し、
晴れて、今日の人生相談は終了とあいなった。
夕方、再び担任の先生からご報告があり、
長女と同じ話をしていただき、
相談は終了とあいなった。
いやはや。
人の気持ちってわっかんない。
まさか、まさか、だった。
でも、今から思えば、
そりゃ、そうだわな、
と思い当たる節があるのも事実。
先生のプリントの、児童をほめる記事で、
相手のかわいい子は、いつも、
長女のした行動(例えば配りもののお手伝いとか)
を見て、真似しているような文が多く載っていたのだ。
なるほど。
そういうことだったのだね。
自分以外の人のことなど、
分かりっこない。
それを分かっていても時に、
それを忘れて、あーだこーだと
悩み続ける。
でも、明らかな態度以外は、
自分のかたよった主観があることも多いもの。
気の回しすぎで、疲れたり、
被害妄想で、すねたり。
そうしたことがあるのが、人間関係というものなんだよね。
今回の件でよーく、分かった気がする。
どうせまた、近いうちに、
私の事だから、忘れちゃうのかもしれないけれど。
出来るだけ、覚えておくように
努力しておきたいと思う。
人の気持ちは分からない。
それは、悪い方向に転ぶこともあるけど、
それは、良い方向に転ぶこともあるのだと。
いつも自分の偏った見方でなく、
客観的な視点で考えることもまた、
大切なのだということを。
こうやって、学んでいくのだ。
育児をしていく中で、
今まで知らなかったいろいろなことを、
実体験として学んでいくのだ。
だから。
ありがとう。
いろいろな学ぶ機会を与えてくれて。
私の大切な、二人娘さん。