冬菜かしこの「小学生、中学生と遊んでみたり、学んでみたり」の日々

二人娘と一緒に遊んで、学んで、楽しんでいるアラフィフ小学生ママの記録です。

【エッセイ】言葉の裏を読む

おとといから修学旅行に行っていた長女が、

昨日の夜に帰ってきた。

初日の宿泊先の旅館で、

頭痛と腹痛を訴えて、

結果的に嘔吐もした長女。

 

心配していたが、

小学校に迎えに行った時は、

割と元気だったので安心した。

 

翌日は、10時20分から40分までの間に登校すれば良いとのこと。

だから、朝はのんびり朝寝坊していた。

 

疲れたもんねえ。

仕方ないよねえ。

寝かしておいてあげようねえ。

ということで、

主人も私も何も言わず、

寝るのに任せていた。

ゆっくり体を休めてくれればと、

思っていたのだ。

 

でも、次女はつまらなかったようだ。

長女が修学旅行に行ってからと言うもの、

けんか相手がいないせいか、

ユーチューブばっかり見ている次女。

あまり見すぎると目に悪いからととめても、

一向に言うことを聞かない。

長女がいなくて退屈していることが分かっているから、

こちらも何も言えなくて。

結局次女のすきにさせているという状態が続いていた。

 

それでも長女が帰宅してからは、

たぶん、次女も、

やっと、おねえちゃんと朝ごはんを一緒に食べられる、

登校前に、二人で、わちゃわちゃ出来る、

と思っていたのだと思う。

 

それなのに、「ゆっくり10時過ぎ登校」だというもので、

ちょっと肩透かし状態だったのだろう。

ひとりで朝食を食べていた次女が、

ふいに、皿洗いをしている私に声をかけてきた。

 

「ママ、早く、朝ごはん食べなさい」

 

最初は私も、

「ちょっと、いろいろ、やることがあるから。

それが済んでからね」

と言ってから、布団を畳んだり、洗濯をしかけたり、

しようと動き始めた。

でも、すぐに、気が付いたのだ。

 

「あっ、そうじゃない。

私に早く食べろと言っているのは、

自分がひとりで食べたくないからだ!」

 

そのことに気づいて次女の方を見ると、

とっくに食べ終わっている時間なのに、

唐揚げを一つ、ミカンをそのまま、残して、

私を待っているのだ。

 

「早くしないと、唐揚げ食べちゃうよー」

そう言って、ちょっとすねたようにして、

早く早くと、せかしてきた。

 

そうか。

そうなんだね。

素直じゃない次女は、そのまんまを口にできない。

おねえちゃんが遅い登校で、

一緒に朝ごはん食べられないから、

ひとりでは寂しいから、

ママと一緒に食べたいのだと、

そんなふうには、素直に言えないのだね。

 

昨日も、おとといも、

次女は何も言わず、ひとりで朝食を食べていた。

どうせおねえちゃんは、修学旅行に行っているのだからと、

たぶん、あきらめがついていたのだろう。

そして、たぶん、最初はひとり朝食も我慢できただろう。

 

それが。

今日はやっと、一緒に食べられると思っていたのに、

それが叶わず、ひとり朝食が3日目にもなり、

もう耐え切れなくなったのだろう。

私への朝食の言葉は、

そういう事だったのだと悟った。

 

そうして、すぐに次女のもとに行き、隣に座り、

私はいつものお茶漬けを、

次女は最後のから揚げを食べ、ミカンを平らげ、

朝食は終了した。

 

その後、前髪をゴムでくくり、それをピンでなでつけて、

最近のお気に入りの髪形を自分で作りながら、

ふん、ふん、ふふふん、ふふふん、

と楽しそうにハミングしていた。

 

もしも次女が一人っ子ならば、

こんなに寂しがり屋ではなかったのかもしれない。

いつのまにか長女と一緒にいることが当たり前になっていて、

それがひとりになると、

寂しくてしかたなくなってしまったのかもしれない。

いつもは喧嘩する癖に。

昨日の夜も、とっくみあいのけんかをして、

ママに大叱られしたくせに。

何回言っても、学習しない、

けんかっぱやい二人姉妹のくせに。

 

毎日。

二人の育児と、老親のお世話と、ボランティアと、ジムと、畑と。

色々なことをやっていて、

ばたばたしっぱなしの私。

なぜこんなに、せかせかした生活を繰り返すのだろうかと、

たまに悩むときもある。

そしてそのバタバタのせいにして、

二人の娘の話をあまり、

じっくり聞いていないことがあり、

それが決して少なくないようにも思える。

 

だけど、たまにこうして、

次女の言葉の裏を読んで、

その本心に気づいた時、

自分の至らなさが恥ずかしくなる。

こんな、気づかないママで、ごめんねと。

 

きっといままでも、

見過ごしてきたことがいっぱいあったのだろう。

二人娘の言葉の裏にある本心に、

気づいてあげられなかったことが、

たくさんあったのだろう。

そう思うと申し訳ない気持ちでいっぱいになる。

 

でも決して、それを巻き戻すことは出来ない。

どんなに反省したところで、

取り戻して、やり直すことは出来ないのだ。

ならば、せめて、これからは。

たまにはちょっと立ち止まって、

言葉をきちんと受け止めてあげたいと思う。

今まで流していた言葉を、

その真意を汲んであげたいと思う。

すべての言葉を熟考するのは無理だとしても、

言葉をきちんと受け止めようという気持ちは、

持っていたいと思うのだ。

 

二人の言葉はこれから、もっと、

複雑になっていくのだろう。

そして私が気づかない、言葉の裏が、

たくさんできるのだろう。

言葉の裏を読むことなど出来ないほど、

いろいろな考えを持って、

話をするようになるのだろう。

 

けれど。

そうだとしても。

二人娘の言葉の裏を読むことを、

あきらめたくはない。

二人の心をおしはかる手がかりになる、

言葉と言うものを、

大切にしていきたい。

 

なぜなら私は「お母さん」だから。

これからもずっと、「お母さん」だから。

 

完璧ではないけれど。

だからこそ、

楽しい育児ライフを、

これからもしっかりとやっていきたいと思う。