冬菜かしこの「小学生、中学生と遊んでみたり、学んでみたり」の日々

二人娘と一緒に遊んで、学んで、楽しんでいるアラフィフ小学生ママの記録です。

【エッセイ】プールでお祭り

二人娘の習っている水泳教室で、

久しぶりに「お祭り」があった。

コロナの関係で、

なかなか思うようなイベントが出来なかった昨今。

ようやく、以前のような活気を取り戻したような感じだった。

 

このプールでのお祭りがどういうものかというと、

プールにいろいろな遊ぶものを用意して、

プールの中で遊ぶ、というもの。

例えば、水面に大きなビート板のような板を浮かべて、

その上を歩いてみたり。

筒形の半透明な巨大浮き輪のような遊具を浮かべて、

その中に入って、ハムスターのようにまわしてみたり。

ビート板や腰腕用浮き輪を付けて、ぷかぷかういたり。

普通にちゃぷちゃぷ泳いでみたり。

 

いつもの練習とは違い、

クラス分けもなく、

皆が一緒になって泳いでいた。

25メートルプールの往復ばかりの通常練習と違い、

お友達とわちゃわちゃ、おしゃべりしながら、

泳いだり歩いたり。

 

ああ、楽しいんだな。

子供本来のそんな姿に、目を細めながら、

いつのまにか苦手なプールが大好きになっている二人娘を

少し誇らしく感じていた。

 

「小学校6年間。

何か一つでも習い事を続けたら、

続けた人にしか見えない景色が見える。

だから、出来れば、見てほしい。

子供の時に培ったことは、一生ものだから」

 

そんな風に思って、

通い詰めたこの6年間だった。

途中、5年半経過した頃のこと。

主人が「そろそろ、プール辞めてもいいんじゃない?」

と言っていたのを思い出す。

十分上達したのだから、

後はほかの事をしてみたらどうかと。

主人の言葉も一理あり、

全部を否定したいわけではなく。

だけど、私はできることなら、

「6年間、やったよ」

と言う実感を、持ってほしかった。

 

長女が2年生の時に、

この水泳教室でお友達が出来た。

お友達もうちの二人娘も、

ともに、どちらかというと口下手で、

人付き合いがあまり上手な方ではなく。

それゆえか、妙に気が合った。

だから、今回も一緒に、

このプールのお祭りに参加したのだ。

 

三人で、おしゃべりして、

泳いで、歩いて、移動して。

ちくわ形の巨大浮き輪に入り、

ハムスター状態で、

くるくる回してはしゃいでみたり。

その中で、滑って転んで、大笑いしてみたり。

 

のんきだなーと、思った。

世の中には様々な困難もあるというのに、

この三人さんは、

まるで、世界は楽しい事しかないかのように、

おおはしゃぎで遊んでいた。

だから、私もうれしくなった。

みんながみんな、眉間にしわを寄せて、

暮らさなくてもいいのよね、と思った。

小学生がいる生活というのは、

そういうものなのだと思ったりもしたのだ。

 

子供が小さいと、

どうしても働き方も制限され、

なかなかに、余裕のある生活は難しい。

学校から、お子さんが発熱しました、と連絡があれば、

何を置いても駆けつけなくてはいけない。

 

病気になった。

けがをした。

お友達と喧嘩した。

学校がつまらない。

エトセトラ、エトセトラ。

 

いつも様々な課題が出てきて、

その度に、どうしよう、どうしようと、

一人でうんうん考えて、

どうにかこうにか、

やっていっている自転車操業状態。

それでもなんとか生活が回っているから、

自分で自分を鼓舞しながら、

「私、やれる!」

と気合を入れて、

乗り切っている。

 

子育ては、誰かに褒められるものじゃない。

だけど。

誰にも褒められないものじゃない。

少なくとも、

子供と、そして自分とは、

なんとなく、ほめているのである。

「よく、やってるじゃーん」と。

 

プールで一通り遊んだ後は、

着替えて、昼食になった。

予約していた、カレーとフランクフルト。

主人曰く、「レトルトカレーだね」だそうで、

確かにそんな感じ。

でも、美味しかったのだ。

味がどうのこうのというよりも、

「海の家のカレー」のように、

水泳教室の横の屋根のあるテラスで、

机と椅子がいくつも並べられ、

イベント感たっぷりの場所で食べるカレーとフランクフルトは、

それだけでもう、

美味しい楽しい気持ちなのだ。

食べ終わった二人がかき氷を食べるもので、

私も一緒にかき氷を食べ、

今年のかき氷納めをしたのである。

家のとは違い、きめの細かいかき氷は、

「海の家のかき氷状態」でもあり、

やっぱり一味も二味も違って感じられた。

 

今年小学6年生の長女が、

いつまでこの水泳教室に通うのか、分からない。

小学1年生で始めた頃は、教室にたくさんいた同級生も、

いつのまにか辞めていなくなり、

ほとんど知らない子供ばかりとなっている。

次女のお友達も、

おととしには、まだたくさんいたが、

最近は見なくなってしまった。

 

「25メートル泳げるようになったら、やめる」

そういう人が多いのが現実であり、

それは仕方のない事なのかもしれない。

習い事の多い時代には、

あれもこれもと、親も子供も、

目移りしてしまうのは、致し方のない事。

 

それでも、私は思うのだ。

愚直に何かを続ける意味を。

いつか二人娘が、

その意味に気づいてくれるかもしれないと。

そして時にそれも、意味を成すのだと。

そんな風に思うのだ。

 

久しぶりのプールでのお祭り。

また、来年も行きたいねと、

みんなが思った、楽しい一日であった。