うちの二人娘は学校に行きたがらない。
たまに機嫌のよい日もあるものの、
基本的に朝が弱い二人娘は、しょっちゅう、
「学校、行きたくなーいー」と合唱してくれる。
何かイベントがあるときは、まだましだが、
特に、お勉強系の授業がぎゅうぎゅうの日なんかは、
気がのらないらしく、布団から出ようとしない。
先日もそんな感じだったが、
なんやかんやと布団から連れ出して、
登校時間ぎりぎりアウト、ぐらいの時間で家を出発してくれた。
今は自宅前が登校班の集合場所なので、
かなり助かっている。
人は朝型と夜型があると思うのだが、
うちは典型的な夜型のようで、
就寝時間近くになっても、
布団の上で読書やらイラスト書きやら、
なんやかんやと動いてくれている。
「そんなんしてたら、明日の朝、起きれませんよー」
と一応言ってはみるものの、
当然スルーで、二人で、
「きりがいいところまでー」とか言いながら、
5分10分と延長して、予定時間を数十分過ぎてようやく、
さて仕方がないから寝るか、となる。
当然ですが、翌朝は「ねむいー、おきれないー」
となるのだ。
ある日突然、朝型に代わってくれたらどんなに助かるか、
なんてことを何十回考えたか分からない。
でもそんなことが起こるはずもなく、
毎度毎度、「どうやって起こそうかなー、やれやれ」
と苦心していた。
だいたい、まず、布団から出すのが難しいのだよね。
そこで、私が考えた答えはこう。
「学校に行きたくないなら、行かなくてもいいよ。
ただし。
布団から出て、制服に着替えて、朝ごはんを食べて、
顔を洗って、髪をといて。
学校に行ける準備だけはしてみて、
それでもどうしても行けないならば、行かなくていいよ」
と約束をした。
もちろん、約束したからには、それは守る。
どうしても行けないなら、欠席もOKだと、私も腹をくくった。
そう思わないとどうしても、
こちらの真剣さが伝わらないから。
口先だけで「休んでもいいよ」と言ったところで、
そんなのは瞬時に見抜かれてしまうのだ。
だから、真剣。
真剣に「休んでもいいから、登校の準備だけはしてみなさい」と言う。
すると。
あら、不思議。
なぜか二人とも学校に行ってくれるのだ。
あれほどいやがっていたのに、
登校時間になると、ランドセルを背負って、
水筒をななめがけにして、
「いってきまーす」と元気に玄関を出ていく。
「あれれ?あの嫌がりようはなんだったの?」
っていう具合。
本当はママを困らせて楽しんでいたんじゃないの?
と疑いたくなるほどに、きちんと学校に行く気持ちになってくれるのだ。
どうしてそんなことになるのだろうかと考えてみた。
そして、出た結論。
「要するに、布団から出るのと、着替えるのがめんどくさいだけなんじゃないか」
ということ。
だからそこさえクリアしてしまえば、
あとは通常モードで流れ作業で、
朝食食べて、髪といて、行ってきますとなるのではないか、ということ。
それを証拠に、そんな風にぐずった日でも、
帰宅した時「学校たのしかった?」と聞くと、
「楽しかったー」との返事がある。
なんのわるびれもせずに。
だから最近はいつもこの調子。
「学校行きたくないー」を言われれば、
はいはい、いつものことねと思いながら、
「分かった、分かった。起きて着替えてご飯食べて、
行く用意だけして、それでもどうしてもいやなら学校休んでもいいから」
と言うことにしている。
最初のハードルを下げてあげて、
休んでもいいから着替える、くらいにしておけば、
次々にハードルをこなしていって、
気が付いたら、行ってきますー、となるのだ。
そして、それに加えてもう一つ、
私が工夫していることがある。
それが「朝食は、いろんなものを、ちょこちょこ並べて、食欲増進」。
主人のお弁当のおかずを多めにして、二人の朝食に出したり、
果物も添えてあげたりしている。
この日は主人のお弁当のおかずがお魚の為、
二人娘は食べないだろうから、
食べやすいかまぼことハムにした。
そして、ほうれん草とプチトマト。
普段、野菜はきらうのだが、
ほんの少しならわりと食べてくれるし、
そばに果物があるとテンションも上がるので、
食べてくれる日も多い。
この日のデザートはぶどうだが、
「見切り品にぶどうがあったよ。情報提供です」
と買い物の際に次女がかわいいおねだりをしたので、
まあいいか、と買ってあげたもの。
ぶどう好きの次女は喜んでいた。
大人になるとなんでもないことが、
子供のうちは、大問題だったりもする。
例えば、可愛いハンカチが洗濯中だから、
可愛くないハンカチを持って行かなくてはいけない。
いやだー、学校行きたくないー、とかね。
なんだそりゃ、の連続。
でも考えてみたら、自分だって、きっとそうだったのだ。
なんもないことが、大問題。
そんな時代だったのだ。
子供時代は。
でもきっと、それって、
逆の事もあるのだ。
つまり。
なんでもないことが、
とんでもなくうれしいということ。
新しい靴下を買ってあげた、ただそれだけで。
気分うきうきの顔をしている娘を見ていると、
ああ、小さな幸せを感じているのだなと、
私まで幸せな気分になる。
良くも悪くも、小さな出来事に、
心動かされる毎日。
でも、きっと。
それはものすごく大切なこと。
もしも心が動くことがめったにないのだとしたら、
それはきっと寂しい事だと思うから。
だから、小さな感動を教えてくれる二人の娘に、
やっぱり、ありがとうなんだろうな。
言えないから、書いておく。
いつもありがとう。
おかげさまで、退屈しない毎日だよ。