冬菜かしこの「小学生、中学生と遊んでみたり、学んでみたり」の日々

二人娘と一緒に遊んで、学んで、楽しんでいるアラフィフ小学生ママの記録です。

【エッセイ】小学校に行きたくない日は

うちの二人娘は学校に行きたがらない。

 

たまに機嫌のよい日もあるものの、

基本的に朝が弱い二人娘は、しょっちゅう、

「学校、行きたくなーいー」と合唱してくれる。

何かイベントがあるときは、まだましだが、

特に、お勉強系の授業がぎゅうぎゅうの日なんかは、

気がのらないらしく、布団から出ようとしない。

 

先日もそんな感じだったが、

なんやかんやと布団から連れ出して、

登校時間ぎりぎりアウト、ぐらいの時間で家を出発してくれた。

今は自宅前が登校班の集合場所なので、

かなり助かっている。

 

人は朝型と夜型があると思うのだが、

うちは典型的な夜型のようで、

就寝時間近くになっても、

布団の上で読書やらイラスト書きやら、

なんやかんやと動いてくれている。

 

「そんなんしてたら、明日の朝、起きれませんよー」

と一応言ってはみるものの、

当然スルーで、二人で、

「きりがいいところまでー」とか言いながら、

5分10分と延長して、予定時間を数十分過ぎてようやく、

さて仕方がないから寝るか、となる。

当然ですが、翌朝は「ねむいー、おきれないー」

となるのだ。

 

ある日突然、朝型に代わってくれたらどんなに助かるか、

なんてことを何十回考えたか分からない。

でもそんなことが起こるはずもなく、

毎度毎度、「どうやって起こそうかなー、やれやれ」

と苦心していた。

だいたい、まず、布団から出すのが難しいのだよね。

 

そこで、私が考えた答えはこう。

「学校に行きたくないなら、行かなくてもいいよ。

ただし。

布団から出て、制服に着替えて、朝ごはんを食べて、

顔を洗って、髪をといて。

学校に行ける準備だけはしてみて、

それでもどうしても行けないならば、行かなくていいよ」

と約束をした。

 

もちろん、約束したからには、それは守る。

どうしても行けないなら、欠席もOKだと、私も腹をくくった。

そう思わないとどうしても、

こちらの真剣さが伝わらないから。

口先だけで「休んでもいいよ」と言ったところで、

そんなのは瞬時に見抜かれてしまうのだ。

だから、真剣。

真剣に「休んでもいいから、登校の準備だけはしてみなさい」と言う。

 

すると。

あら、不思議。

なぜか二人とも学校に行ってくれるのだ。

あれほどいやがっていたのに、

登校時間になると、ランドセルを背負って、

水筒をななめがけにして、

「いってきまーす」と元気に玄関を出ていく。

 

「あれれ?あの嫌がりようはなんだったの?」

っていう具合。

本当はママを困らせて楽しんでいたんじゃないの?

と疑いたくなるほどに、きちんと学校に行く気持ちになってくれるのだ。

 

どうしてそんなことになるのだろうかと考えてみた。

そして、出た結論。

「要するに、布団から出るのと、着替えるのがめんどくさいだけなんじゃないか」

ということ。

だからそこさえクリアしてしまえば、

あとは通常モードで流れ作業で、

朝食食べて、髪といて、行ってきますとなるのではないか、ということ。

それを証拠に、そんな風にぐずった日でも、

帰宅した時「学校たのしかった?」と聞くと、

「楽しかったー」との返事がある。

なんのわるびれもせずに。

 

だから最近はいつもこの調子。

「学校行きたくないー」を言われれば、

はいはい、いつものことねと思いながら、

「分かった、分かった。起きて着替えてご飯食べて、

行く用意だけして、それでもどうしてもいやなら学校休んでもいいから」

と言うことにしている。

最初のハードルを下げてあげて、

休んでもいいから着替える、くらいにしておけば、

次々にハードルをこなしていって、

気が付いたら、行ってきますー、となるのだ。

 

そして、それに加えてもう一つ、

私が工夫していることがある。

それが「朝食は、いろんなものを、ちょこちょこ並べて、食欲増進」。

主人のお弁当のおかずを多めにして、二人の朝食に出したり、

果物も添えてあげたりしている。

 

 

この日は主人のお弁当のおかずがお魚の為、

二人娘は食べないだろうから、

食べやすいかまぼことハムにした。

そして、ほうれん草とプチトマト。

普段、野菜はきらうのだが、

ほんの少しならわりと食べてくれるし、

そばに果物があるとテンションも上がるので、

食べてくれる日も多い。

この日のデザートはぶどうだが、

「見切り品にぶどうがあったよ。情報提供です」

と買い物の際に次女がかわいいおねだりをしたので、

まあいいか、と買ってあげたもの。

ぶどう好きの次女は喜んでいた。

 

大人になるとなんでもないことが、

子供のうちは、大問題だったりもする。

例えば、可愛いハンカチが洗濯中だから、

可愛くないハンカチを持って行かなくてはいけない。

いやだー、学校行きたくないー、とかね。

なんだそりゃ、の連続。

 

でも考えてみたら、自分だって、きっとそうだったのだ。

なんもないことが、大問題。

そんな時代だったのだ。

子供時代は。

でもきっと、それって、

逆の事もあるのだ。

つまり。

なんでもないことが、

とんでもなくうれしいということ。

新しい靴下を買ってあげた、ただそれだけで。

気分うきうきの顔をしている娘を見ていると、

ああ、小さな幸せを感じているのだなと、

私まで幸せな気分になる。

良くも悪くも、小さな出来事に、

心動かされる毎日。

 

でも、きっと。

それはものすごく大切なこと。

もしも心が動くことがめったにないのだとしたら、

それはきっと寂しい事だと思うから。

だから、小さな感動を教えてくれる二人の娘に、

やっぱり、ありがとうなんだろうな。

言えないから、書いておく。

いつもありがとう。

 

おかげさまで、退屈しない毎日だよ。