冬菜かしこの「小学生、中学生と遊んでみたり、学んでみたり」の日々

二人娘と一緒に遊んで、学んで、楽しんでいるアラフィフ小学生ママの記録です。

水泳教室でもらったクリスマスツリー

 

こんにちは、冬菜かしこです。

今日はいつもながら青空のおだやかな一日となりました。

 

クリスマスが過ぎて、数日が経ちました。

すでにクリスマス気分は吹き飛び、

どこもかしこもお正月商戦へと装いを変えています。

ツリーは取り去られ、代わりに和のお正月のディスプレイ。

どこもかしこも、来るべきお正月に向けて、

アピールを繰り広げています。

 

そうはいっても、我が家のリビングはいまだにクリスマスツリーが飾られています。

なぜなら、二人娘が「12月いっぱいは飾っていたい」と言ったから。

あまり遅くまで飾るのは、

私としては気が進みはしません。

「ひな人形を仕舞うのが遅れると、婚期が遅れる」

とも言われているし。

そないにずっと飾らなくても、

ひと月も飾ったら十分ではないの?とも思ったりもします。

 

でも。

「出来れば早く片づけたいな」

という位の軽い気持ちなら、

自分の気持ちは隣に置いておいて、

二人娘の好きにしてあげてもいいかな、

とも思ったのです。

丁度主人も12月29日には、隣県の自分の実家に行って、

年明けまで帰宅しないのですから。

かましく言う人がいるとしたら、

それは私しかいないのです。

ならば、ちょっとくらいはいいかな、

などと思ったのです。

 

小学3年と5年の育児は、

幼児期のそれに比べれば、

とんでもなく楽にはなりました。

冬休みでずっと家にいるとはいえ、

おむつを替えることも、

おねしょをすることも、

ご飯を別に用意することも、

頭をテーブルにぶつけることも、

手がかかることはほとんどなくなっているのです。

幼児期には、ほんの数時間の一人時間が、

とてつもなく「ぜいたくな時間」だったはずなのに、

いつのまにか、その一人時間は、

「あたりまえの時間」になり、

そのうち、「自分のやりがいってなんだろう」みたいな、

ぜいたくな悩みも持つようになり、

小学校のボランティアに精を出す、

そんな自分が出来上がっていたのです。

 

ふと、自分のそんな状況を俯瞰で観た時、

「なんでこんなに、カリカリしているんだろう?」

という気分にもなるのです。

幼児期の育児の、あのすさまじい忙しさに比べたら、

今の育児は、有り余る時間を持って、

いくらでも気分転換できるというのに。

いつのまにか私は、今の自分の幸せが当たり前すぎて、

ほんのささいな「自分と違う意見」に、

耳を傾けたがらない人になっていたのかもしれません。

 

そんなことを考えてみて、

ひとまず、「クリスマスツリーしばらく残す」という二人娘の選択を、

受け入れてみようかなと思うに至ったというわけです。

 

昨年のクリスマス直前。

いつもいくジムの帰りに見つけた激安のクリスマスツリー。

楽しそうに今年も飾ってくれたのですが、

今年はもうひとつツリーが仲間入りしました。

体調不良で不参加となった、娘の水泳教室の冬の大会(競技だけではなく、

お祭り的な水泳イベント)のくじ引きで当たったのがツリーだったのです。

水泳教室の先生が、娘たちの代わりにくじを引いてくれて、

どうやらツリーが当たったらしいのです。

 

開けてみると、リビングのでっかいツリーの3分の1ほどの背丈の

ツリーが入っていました。

二人はうれしそうに組み立てて、飾りを飾って、電飾を付けて、

「自分たちのツリー」を飾っていました。

次女は「リビングのツリーとこっち(水泳教室のツリー)、どっちがいい?」

と長女に聞いたりして、自分たちがゲットしたツリーを、

ことのほか、喜んでいたようでした。

それを見て、ふと、私の胸に小さな気づきがありました。

「自分たちのゲットしたものが、うれしいのだな」と。

 

確かに私が買ってきたツリーは、高さが主人の身長ほどの

実に背の高い迫力のあるものです。

ショッピングモールのクリスマスコーナーをディスプレイしていただけあって、

飾りも電飾もすべてにおいて、実によくできていて、

見た感じは非常に「完成されているな」という感じです。

もしも定価なら絶対に買わないであろう素敵なツリーを、

私自身はとてもうれしく思っているのです。

 

でも、所詮。

娘たちにとっては「ママのツリー」なのかもしれません。

一緒に選んだわけでも、一緒に飾りつけの小物を買ったわけでもなく、

ツリー一式をママが選んで用意した、

お膳立てされたツリー、だったのかもしれません。

だからこそ、水泳教室でもらったツリーがうれしかったのかもしれません。

「自分たちがゲットした、自分達だけの宝物」だったのかもしれません。

 

私がまだ子供だった頃。

おもちゃ屋さんで買ってもらったケース入りの指輪セット。

本物のような輝きはあるはずもなく、

所詮おもちゃの域を出ない、正真正銘のおもちゃの指輪。

それなのに、それは本物の指輪以上に、

小さな女の子だった私の心をつかんで離さなかったものです。

どんな高級なものも及ばない。

それは小さな女の子にしか分からない、

そんな価値観だったのです。

 

忘れていたそんな昔の事を、

ふと思い出させてくれる。

子供とはなんと不思議な存在なのでしょうか。

そしてなんとうれしい存在なのでしょうか。

 

毎年毎年。

どんどん大きくなっていく娘達。

だけどこれからもこんな風に、

自分の来し方を、思い出させてくれるのでしょう。

それは少しくすぐったいような、

少し胸があつくなるような、

さまざまな思いなのでしょう。

娘達とそんな思い出を、

来年もたくさん作っていきたいと思っています。

よくできたママではないけれど、

二人娘の一番のファンとして。

 

明日も面白い一日になりますように☆