冬菜かしこの「小学生、中学生と遊んでみたり、学んでみたり」の日々

二人娘と一緒に遊んで、学んで、楽しんでいるアラフィフ小学生ママの記録です。

「子供を叱る」の考察

 

こんにちは、冬菜かしこです。

今日はおだやかな、日差しのやわらかな一日です。

 

昨日、次女のもとに近所の子供二人(姉弟)が遊びに来ていました。

その夜、私の大事な鏡(コンパクト)が失くなっていました。

そして今朝、主人が玄関椅子の上に、隠すように置いてある私の鏡を発見しました。

その鏡は、壊れていました。

 

ただちに次女に問いただすと、

「昨日うちに来た友達の弟君が壊したこと。

怒られるからと思い、次女が隠すようにして置いていたこと。

見つからなかったら、ずっと隠しておこうと思っていたこと」

ということを話してくれました。

 

私はそんなに出来た人間ではないのです。

こういう場面では、たいてい、

「どうして、隠したりしたのよ!鏡壊れちゃってるじゃない!」

と叱り飛ばすところです。

恐らく、主人も、次女も、長女も、

そして私自身も。

そこにいた誰もがママの怒鳴り声を覚悟していたと思います。

 

でも。

今日は、ママの怒鳴り声は出ませんでした。

それは、なぜか。

私自身も理由が分かりません。

ただ、一つ言えるのは、

その鏡がとても大切だったということです。

 

 

16年ほど前に、母と東京に行った際、

東京在住だった兄が買ってくれたものでした。

とてもきれいで、お店の方に名前も入れてもらって、

長い間、大切に使っていたものでした。

 

だから、壊れてしまい、あきらかにもう直せないと思った時、

体の中から力が抜けました。

「怒鳴ったからといって、直るものでもない」

そんな風に、あきらめに似た境地だったのです。

 

私は次女に向かって、静かに言いました。

「これはママがお兄さんに買ってもらった大切な鏡だったの。

もう直らないと思う。とても悲しいです」

いつものように怒らないママを見て、

次女は黙って、でも全速力でリビングを出て、

泣く時に飛び込む、いつもの押し入れに入って、ドアを閉めました。

 

私は無理だと思いつつも、鏡を直そうと試みました。

かなりの時間をかけて鏡の仕組みを考えて、

そして、ようやく鏡の外れた鏡面を差し込むことに成功したものの、

鏡の蓋部分の開閉は困難なものとなり、

結局、中途半端に開いた状態の鏡になってしまいました。

 

庭に移り一人遊びを始めた次女を呼び、

「どうやっても、これ以上は直りません。

大切な鏡が壊れて、ママは残念です。

怒っていないように見えるかもしれませんが、

とても怒っています」

と伝えました。

次女は黙って話を聞いていました。

 

その後少しして、有休をとっていた主人のラーメンを買い忘れていたので、

スーパーに買いに行こうとして、ふと、

次女に声をかけようと思い立ちました。

 

押し入れのある部屋の隅で読書していた次女に

「スーパーに行くけど、一緒に行く?お菓子も買うよ」

と声をかけると、急に元気になって

「行くー!」と返事をし、

長女と一緒に上着を取りに行きました。

 

「ちょっとスーパーに行ってくる」と主人に声をかけ、

3人でお店に行き、それぞれ必要なものを買い込みました。

レジを済ませて3人で落ち合うと、次女は、

「はい。お母さん」と言って、お菓子の袋を差し出しました。

どうやら、さっきのお詫びのお菓子のようでした。

 

「そんなこと、しなくていいよ」

とのどまで出かかった言葉を飲み込み、

「ありがとう」

と言いました。

私が受け取ることで、次女が胸の重しを軽くできるなら、

それくらいは引き受けようと思いました。

 

次女の様子を見ていた長女は、

「私も何かしなきゃと思って、お父さんにお菓子買ったよー」

と楽しそうに見せてくれました。

その後は、何もなかったかのように、

二人娘は元気に遊んでいました。

 

 

壊れた鏡は元には戻らないし、

悲しい気持ちに変わりはないけれど、

いつものように怒りの気持ちが爆発することは、ありませんでした。

 

なぜなんだろう、と思った時。

ふと。

ずっと昔に聞いた言葉を思い出しました。

「形あるものは、いつか壊れる」

 

これは、ある先生が、家庭の中でお皿を割った時に、

ご主人に言われた言葉だそうです。

幼少期からずっと、物を壊した際には、両親にひどく怒られていたので、

お皿を割ったらすごく怒られると思っていたのに、

ご主人には怒られなかったので、とても驚いたそうです。

そして、そんな考え方もあるのだと、心が救われたそうです。

 

そういえば。

私の母も同じようなことを言っていました。

「お皿って、割れたり、汚れたりしたら、買い替えればいいのよ。

だって、そうしたら、新しいお皿を買う楽しさがあるじゃない」

私の幼少期、私の母も、物を壊しても、全く怒らないタイプの人でした。

 

 

毎回、毎回、怒らないで済むようなことばかりではありません。

どうしても感情を抑えられない時もあります。

 

でも、今日思ったのは、

怒りを爆発させても、爆発させなくても、

さして変わりはないという事です。

私がどのような怒り方をしても、

子供にとっては「怒られたこと」に変わりはないのです。

 

むしろ、怒りを爆発させると、

子供に伝染して、大人も子供も、爆発することがあるから、

あまり、よろしくないのだろうなと、思ったりしました。

 

どうして、こんなに、

「出来た人」から、ほど遠いのだろうか、と思います。

本当はもっと、「落ち着いた、分別のある人」になりたいのに、と思います。

 

でも。

もしかしたら「出来た人ではない」という自覚から、

全ては始まるのかもしれません。

 

これからは、たまには「静かに叱る」というのを試してみようと思います。

毎回は無理だとしても、3回に1回とかなら、

出来るかもしれません。

 

少しずつ、少しずつ。

「出来る人」に近づいていきたいな、と思っています。

 

 

明日も素敵な一日になりますように☆