ある日テレビを観ていたら、
タレントの千秋が出ていた。
相変わらずかわいい洋服を着ていて、
「3色ショッピング」のコーナーで、
洋服を選んでいた。
これは、お題の色の洋服を選んでいき、
コーディネートしていくものだ。
出されたお題に対して、
出来るだけほかのゲストと重ならないように、
色を選んで、その色で洋服を選ぶのだ。
何度も出演している千秋は、慣れた様子で洋服を選ぶ。
ベテランのはずなのに、
本気モードでやってくれるのがうれしい。
そしてコーナーの最後で、
千秋が3色のコーディネートを着て、
それをみんなに披露した。
いろいろな色を合わせての、
無難ではない配色の洋服の組み合わせだった。
一歩間違えれば、
ちょっと、くどくなりそうな配色なのに、まとまっていた。
それは、文句なく、かわいかった。
出演者みんなが、そのかわいさにノックアウトだった。
そして、それをみたMCが言った。
「千秋さんは、色の神様に愛されているんですね」と。
私は度肝を抜かれた。
「色の神様に愛されている」?
そんな素敵な言葉が、この世にあることに驚いた。
そして、千秋をうらやましく思った。
「私も、色の神様に愛されたい」
正直な感想であった。
その言葉はずっと私の脳裏にあり、
なにか、もっと適切な言葉にならないものかと、
首をひねっていた。
べつにそのままでも意味は分かるのだが、
それでは面白くないと思ったのだ。
しばらく考えて、思いついた。
「絶対色感」だ!
世の中には、瞬時に音を譜面に起こせる
能力を持った人がいるという。
「絶対音感」だ。
雨の音も、チャイムの音も、
凡人にはただの響きに聞こえるものが、
きちんとした音階として、
理解できるのだという。
そしてそれは生まれ持ったものであり、
練習して身に付くものではないらしい。
私の周りにはいないので詳しくは分からないが、
とにかくすごい能力らしい。
(ちなみに、松本明子はこの絶対音感を持っているらしい。
さすがである)
そして私は思った。
色の世界にも、ただの「センス」では片付けられない、
すこぶる特殊な能力を持った人がいる。
これはもう「色の世界の絶対音感」、
略して「絶対色感」だと感じたのである。
私がこの「絶対色感」を強く感じたのは、
子供の幼稚園ママと、園で使う工作をしていた時のこと。
何気なく私が言った、
「紫(の服)を見ると、白と黒のモノクロを合わせたくないのよね」
との言葉に、
一緒に工作をしていた一人のママさんが言った、
「分かるー」
との言葉であった。
続けて私が、「緑もね、白と黒を合わせたくなる」
と言うと、彼女はうんうんと、うなづいていた。
そばにいたほかのママさんは、
あまり興味がなさそうで、
「ふーん」
と言っただけだった。
私も、うなづいてくれたママさんも、
「絶対色感」と呼べるほどではないかもしれない。
たいして高い能力でもないかもしれない。
けれどその時の私が思ったのは、
「ああ、やはり、分かる人には分かるのだ」
ということ。
なにか、確信めいた気持ちを持ったのである。
そういう気持ちで、洋服屋のマネキンを見ると、
明らかに「絶対色感」を持っているコーディネートが
目につくようになった。
全身モノクロに、黄色い小物を合わせる。
上から下まで、濃いものから薄いものまで、
青系で統一しておいて、ピンクをさし色にする。
暗めの色味でそろえておいて、白い小物で抜け感を出す。
そうして、絶対色感の事を考えて過ごしていくうちに、
とある洋服屋に目がいった。
「ここのコーディネートはすごい!」
私は興奮した。
マネキンの服というものは、
時々着せ替えられるのだが、
その洋服屋のコーディネートは、
毎回毎回きっちりと組み合わが出来ている。
余分な物もない。
へんな奇抜さもない。
だけどこのまま雑誌に掲載されてもいいほどの、
写真に撮ってもさまになるほどの、
洗練されたコーディネートがそこにはある。
「完璧だな」
いつもはそういう最上級のほめことばは言わない私が、
その洋服屋を通るたびに、思うのである。
到底、かなわない。
凄腕の人なのだろう。
絶対音感のように、
練習しても身につかない、わけではないかもしれない。
ある程度は、努力でカバーできるのかもしれない。
けれど、子供の頃から色の組み合わせに
こだわっていた私としては、
多少は「持って生まれた能力」
なのではないかと思っているのである。
色は譜面におこせない。
世間一般に知られた権威ある能力ではない。
インパクトは弱いかもしれない。
そして、すごい資格を取得するためには、
たいして役立ちはしないかもしれない。
しかし。
暮らしを彩る能力としては、
なかなか重宝しそうだと思うのである。
「役に立つ、立たない」とか、
「お金になる、ならない」とか、
そういうカテゴリーで考えるのではなくて、
「生きていくうえで楽しい能力」
として考えるならば、
「絶対色感」
は間違いなく、
素敵な能力だと思う。
「工作」とか「絵画」とか、
そういう能力は、
よほどの功績を見せない限り、
表立って光の当たらない能力かもしれない。
けれど、むしろそういう評価されにくい能力こそ、
失ってはいけないもののような気がして
ならないのである。
だから。
「絶対音感」と同様に、
「絶対色感」という言葉も、
世間一般に定着してくれないかなあと、
ひそかに願っている。
そして、時々知人友人に、この言葉を使うことで、
「絶対色感の布教活動」にいそしんでいる、私なのである。
とブログに書いた後、
気になって調べてみたら、
「絶対色感」という言葉。
わりとあちこちで見受けられた。
なあんだ。
もうあったのか。
ガッカリすると同時に、
すでに定着していたその言葉に
むくむくと愛着がわいてきたのである。
「絶対色感」
もっと広まるといいな。