冬菜かしこの「自由に 気ままに エッセイ」の日々

二人娘と一緒に遊んで、学んで、楽しんでいるアラフィフ小学生ママの記録です。

【エッセイ】才能の、向こう側

ある種の才能があれば、

自分はもっと輝けたはずだと、

若いころに思う人は多いだろう。

そういう私だって、

少なからずそう思っていた節がある。

大したことでなくても、

たとえば、勉強やスポーツ以外にも、

歌だの楽器演奏だの、

話し方だの人気者だの、

料理だの手先の器用さだの、

なんだっていいのだ、

何か自分にはもっと才能があればと、

そう思ってしまうものなんだなあと思う。

 

ところが、50歳も過ぎてみれば、

自分の人生の限りが見え始めてくる。

今からは、無理だろう。

そう思えることが増えてくるのだ。

それは体力的にはもちろん、

精神的にも無理が出てくる。

気合を入れて何かに打ち込んだとて、

とうてい、徹夜などはできない。

徹夜明けの自分の体力がどうなっているか、

次の日が使い物にならないと、

分かってしまうのだ。

 

それでは、もう何かをしたくなっても、駄目なのかと言うと、

そうではないと思っている。

矛盾しているようだが、

違う戦い方があるように思えてくるのだ。

それはまるで、力のないものが、

てこの原理を利用するようなもの。

体力がないなら、道具を使う。

記憶力が落ちたなら、パソコンを駆使する。

そういうものだ。

しかし、それだけではない。

それが、「才能の、向こう側」

だと思っているのだ。

 

「才能の、向こう側」

それは、下手に才能がある人は気が付かない領域。

いうなれば、ニッチ産業。

 

「上手ではないけれど、

ずっと、ずっと、続けていくうちに、

わくわくしながら習慣づけて、続けていくうちに、

気が付くとものごとが上達してしまっていた」

そんな感じ。

それが、才能の、向こう側。

 

だけど、それこそが、凡人の戦い方なんだと思う。

私はそれに気づかず、

いろいろなことを投げてきた。

才能がないことを言い訳にして、

どうせ、平凡な人生だと、あきらめていた。

きっとそういう、私のような人が、

世の中には多いのだと思う。

だからこそ、いまこそ、言いたい。

才能がすべてではない世界が、

世の中にはいっぱいあるのだと。

 

28歳の時、外国に短期留学した。

折角だからと、日記を毎日つけだした。

限られた貯金をはたいて、

出来もしない英語を使って、

3週間を過ごした。

英語の能力の向上はなかったが、

日記は付け続けた。

どうしてだか、やめなかった。

きっと習慣になっていたのだろう。

気がつくと、25年の歳月が過ぎていた。

図書館で借りた本に、

「1万時間の法則」

というのがあるのだと書いていた。

なるほど。

腑に落ちた。

急に、文章が書けるようになったのは、

そういうことかと、納得したのだ。

けれど、こうも思った。

「文章を書けるようになったのは、

1万時間の法則かもしれないが、

文章の内容は、

今までの私の人生の全てが詰まっているのだ」と。

 

つまり。

私達が何かを成し遂げようとするとき、

「1万時間」を費やせば、

おそらく、多くの事は、

それなりに出来るのだろう。

しかしその内容は、

その人の人生が反映されているのだと。

そういう事のような気がするのである。

 

たとえば。

ずっとスイーツを食べてきた人が、

お菓子作りを1万時間したとする。

その作り方は、1万時間のおかげで、

すばらしいものになったのかもしれないが、

どのような味にするのか、

どのような材料をするのか、

どのような見栄えにするのか、

それを決定するのは、

その人の今までの経験が生きてくるのだろう、

ということなのだ。

 

才能とは、何なのだろう。

実際のところ、良くは分からない。

けれど、それだけで何かを成し遂げることなど、

きっと出来ないのだろうなと思う。

 

才能の、向こう側にある、

わくわくする好奇心が、

きっと私たちを、

突き動かしてくれるのだろう。

そしてそれこそが、

私達にとってとても大切な宝物のような気がするのである。

 

小学校でボランティアをしている。

絵本を読んで、算数を教えて、生け花を生けている。

そうして小学生に接する時、

そのパワーに圧倒されるときがある。

 

「ああ、これなんだ」

そう思える時がある。

子供は天才。

そして、それを信じることが、

最初の一歩のような気がしている。

 

隣の人を見て、ひるまなくていい。

自分の信じた道を進んでくれたらいい。

自分の子供がどうとか、

他人の子供だからどうとか、

きっと本当は、大したことではない。

 

親だから、もうあきらめる?

子供だから、応援する?

そんなこと、ないと思う。

 

何歳だろうが、関係ない。

やりたいことをしたらいい。

大きな才能がなさそうなら、

才能の向こう側に、行ってしまえばいい。

 

自分だけは、自分を信じて。

きっとそれはとてつもなく、

わくわくするものだと思う。

 

一緒に、人生を。

エンジョイしていきましょうよー。